(1)変身ー1

 フランツ・カフカという人に、私はとても興味を覚えます、と、大学の頃先輩に言ったところ、カフカは人間は面白いと思わないけど、作品が面白い、それが正しい見方だよ、と言われたのを覚えています。カフカは19世紀から20世紀の変わり目をはさんで、東欧・チェコスロバキアの都市プラハという、いささか重厚で陰鬱な古都で社会保険関係のお役所に勤めていたごく地味で生真面目な人にすぎず、特別に面白いことも何もない人間だったでしょう、でも、作品は面白いよね、と、語っていた先輩。

 先輩の主張は正論だと思いますが、それでもやはり、私はカフカという人そのものに興味をひかれ、それはそれでひとつの視点ではあり得たと、後になって思えるようになりました。というより、今となっては全く一般的になっているので、ことさら言うほどのことでもないのですが・・・。

 フランツ・カフカの作品は、『変身』に代表されるように、奇想だとか神経症的幻覚など、怪奇でわけのわからない感じがするので、たとえばホラーものを書く作家がみんな暗くて病的で奇癖を持った変質者的人物である、なんていうイメージが一般にはすぐ広がってしまうものなんですね。子供の頃にある少年雑誌を読んでいたら、奇人変人のコーナーみたいなところで、「チェコの作家カフカという人は、人間が巨大な毒虫に変身するという話を書いて、精神病者だった」などと、おもしろおかしく紹介されていたことを思い出します。

 変な話を考える人は、当然変な人間で犯罪者すれすれ、危険人物である、いつも奇行をしている、という先入観なのですが、現実は全くそういうことがなくて、カフカは確かに病弱で神経質なところはあったけれども、むしろ育ちのよい、教養のある礼儀正しい紳士であったことが伝記的事実からは分かります。もしも一般の人が、奇行や奇癖を期待して見せ物のように彼の日常を覗いたとしたら、そのあまりの品行方正さに退屈でつまらないものを感じるのではないでしょうか。考えることと自分の行動が一致してるなんて、そんなに分かりやすい作家なんて、残念ながらそうそう現実にはいませんよね。





 
 

 

(2)変身ー2

 フランツ・カフカのドイツ語は、あれはお役所ドイツ語だ、と、ドイツ文学科の先生の誰かが指摘していたことも記憶にあります。何やらゴツゴツして無味乾燥で、規則どおりで(そもそもドイツ語は英語なんかと比べて文法の例外というのがものすごく少ない、というのは周知のことですが)、ひとことで言えば色気も素っ気もない、お堅いドイツ語なんです。しかも、決してうまくなくて、どうも不器用な、不自然さを感じるぐらいのもの・・・というのは、カフカはチェコに住んでいたユダヤ人だったから、彼の母国語?はイディッシュ語であって、外国語としてのドイツ語を仕事に使っていたというのが真相なんだそうです。お役所仕事してるうちに学習して身についたドイツ語表現を、巨大毒虫の話を書くのに使うのだから、それは特異な作品になりますよね。

 がっしりと硬いお役所文体で、そういう悪夢のような幻想世界が描かれているカフカの作品は、その一見おかしなアンバランスなところから、ペーソスがにじみ出る、まあ、暗いんだけど笑えてしまうという、ブラックユーモアのセンスが感じられるのです。表層的にはとんでもない狂気の世界なんだけど、実はものすごく生真面目に、じっくり考えて計算づくで構成してある愚直さも、妙に涙ぐましいのです。

 カフカって人は、実のところすごくアタマがよくて、しかも誠実で阿呆なぐらいにまじめで不器用な男性だったんだなあ、というのが、むしろ私などには伝わってきてしまうのですが、そのことは伝記を見ても事実だったようです。彼は裕福なユダヤ家庭の長男として、両親の期待をにない、精いっぱい責任を果たそうとずっと努力していた人で、家業である実業関係も時には手伝っていた、むしろ実務能力のあるタイプなのですね。シャイでもの静か、けれども時に熱気を帯びて話に没入したりする、育ちのいい紳士、といったところでしょうか。



 

 

(3)断食芸人

 フランツ・カフカの場合、彼が生きている間、小説家ではありませんでした。ランボオの場合のように、10代の頃に詩人として知られた、ということもありません。カフカはあくまでチェコの社会保険関係のお役所勤めの役人としてプラハに住み、ユダヤ系家庭の長男として責任を担い、生来体が弱かったこともあり40代前半に結核で亡くなります。お役所勤めや家業の手伝いの傍ら、彼が一人書きためた小説の原稿は、ほとんど人に見せることもありませんでした。

 彼が亡くなる前に、親友の批評家マックス・ブロートに託したトランク一杯の原稿について、「焼却してほしい」というのが彼の遺志でした。しかしこれを読んだブロートは、カフカの遺言を守らず、焼却せずに親友の遺稿を保存し、後年カフカの作品を発表することになります。

 『変身』『断食芸人』『審判』『城』『アメリカ』などなど、現在は世界中に知られる作品名ばかりですが、中には未完の草稿も多く、ブロートがカフカの遺言どおりにこれらを焼却していたならば、私たちは決して、前世紀前半の東欧の古都プラハに住んでいた地味な役人・カフカのことを知ることはなかったでしょうし、彼の特異で魅惑に満ちた作品群を目にすることもできなかったでしょう。それを思うと、実に不思議な気持ちがしてくるのです。

(4)ミレナへの手紙

 カフカは小説の他、多くの書簡を残していて、それは父や妹(カフカには妹が3人いました)、そして婚約者だったフェリーチェ、恋人ミレナ・イェセンスカ、マックス・ブロートなど友人たちに宛てたものがほとんどです。当然ながら、手紙ではカフカは小説とは全く別の生身の人間、リアルな生活者としての顔を見せています。ここでも彼の律儀さやデリケートな心の動き、人間的な悩みや葛藤が見られて興味をひかれます。

 カフカはやり手の実務家であった父親に対しては複雑な感情を抱いていたようですが、しきりと手紙を書きコミュニケーションを取るなど、お互いに基本的信頼関係が続いていたのは確かで、だからこそ時には父親の期待が重く感じられたのだろうし、そういったところはいつの時代でも、どこの国でも分かりやすい、全く普通の親子関係でしょう。ちょうど同時代ごろかもう少し後になって、日本では宮沢賢治が多少似たような状況で詩や童話を書いていたことを連想しますが、こんなアナロジーは無意味だと多くの人には一笑にふされるかもしれません。

 宮沢賢治と同様、カフカも結局生涯独身のままで亡くなりました。結婚し一家のあるじとなることに対し、相当なためらいがあったのかもしれません。そういったことについては、フェリーチエとの婚約、婚約解消、再婚約、という事実や、彼女や家族とやり取りした手紙などから多くの人が推測して書いていますが。

 カフカの恋人だったミレナ・イェセンスカという女性にも興味をひかれます。彼女はカフカ友人の妻で、チェコ人でしたが、どちらかといえば活動的で知的な、男性的な性格の女性だったようです。カフカの死後、やがて第二次大戦が始まってチェコスロバキアもドイツの占領下に入り、ユダヤ系のカフカの親族の多くが、3人の妹たちを含め強制収容所で亡くなりますが、恋人ミレナもまた、収容所の犠牲者の一人でした。



            

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