(1)七つのゴシック物語

 アイザック・ディネーセン(1885-1962)は、デンマークにおいては20世紀に最も世界中に知られた作家だといいます。「アフリカの日々」「七つのゴシック物語」など、アフリカのケニアでコーヒー農園を経営し、17年間生活した体験をもとにした長篇のエッセイや、民話などに基づいた、のちのマジック・リアリズムを彷佛とさせる幻想と民間伝承や信仰、歴史の伝統を感じさせる物語集で知られていますね。

 ストーリーテリングの流れるような、それでいて明せき、透明な文体は独特で、どちらかといえば朗読でずっと聞いていたい、と感じさせる文章です。

 名前からは男性と思ってしまいますが、実はディネーセンは女性で、カレン・ブリクセンが本名。デンマークのブリクセン男爵と結婚したため男爵夫人です。ブリクセン男爵とは34歳の時、結婚8年ほどで離婚していますが、その後もカレン・ブリクセンの名前を通していました。

 1914年、27才で英領東アフリカに夫妻で移住、ケニアのコーヒー農園を経営し、21年に男爵と離婚後も一人で経営を続けましたが、31年にデンマークに帰国しました。やがてそれまでの体験や見聞に基づいた作品集「七つのゴシック物語」がアメリカで出版されるのは1934年、ディネーセンが49才の時ということになります。

 女性の作家が男性名をペンネームとするのは、19世紀の英国やフランスでは珍しいことではありませんでした。フランスのジョルジュ・サンド、イギリスのジョージ・エリオットなどは代表的ですが、あのブロンテ姉妹も、最初は男性名をペンネームにしていました。当時は今からは考えられないほど女性に対する偏見が強かったので、女性名では出版者に信用されず、また社会的にもさまざまな軋轢が生じることが常だったので、それを避けるという現実的な選択であったのが第一だったでしょう。

 「ジェーン・エア」が、ヨークシャーの貧しい牧師館の独身4人姉妹の長女・シャーロット・ブロンテの作であることが分かった時には、ロンドンではスキャンダルとして受け取られ、「これを女性が書いたとしたら、けしからんことだ」と言われたそうです。

 ジョージ・エリオットは、厳格なビクトリア朝の結婚の慣習に合わない男性とのパートナーシップを築き、社会との葛藤は相当なものでした。たとえば同性愛者のオスカー・ワイルドがそのために投獄され破滅させられたり、文豪D・H・ロレンスでさえ、自身の同性愛傾向を描いた「モ−リス」を、ようやく晩年の第二次大戦後になって出版できた、という事実だけでも、そのあたりのことは推して知るべし、ですね。

 アイザック・ディネーセンの場合は、そういった19世紀からの伝統あるいは流行らしきものを踏襲した、ということも多少はあるでしょうが、それは現実的必要性というよりも、むしろ古典への傾倒や敬意の意味合いが強かったような気が私はします。






 

 

(2)アフリカの日々

 ディネーセンあるいはカレン・ブリクセンは、狩猟好きで外出がちなブリクセン男爵との離婚、当時のケニアの英国植民地の男性社会など、男性との葛藤が多かったために男性が嫌いになり、それでそんなペンネームをつけたのだ、などという解釈は俗には(ワイドショー的には)分かりやすいのでしょうが、それは少々一面的な見方ではないかと思います。

 カレンはむしろ、自分自身が内面的に男性的であることを自覚していた女性なのではないでしょうか。相性のよくない夫との不幸な結婚生活、などと決めつけるには、彼女のアフリカのコーヒー農園主としての生活の描写は生き生きしすぎています。ケニアの広々とした風景、草原のはるかな風、野生動物たちの生態、誇り高い狩猟民族マサイ族の神秘的で近寄りがたい高貴さ、などなど、眼前に立ち上がってくるイメージの豊穣な生命力に、私などは圧倒されてしまいます。

 カレンは牡羊座生まれの女性らしく、自分自身が少年のような冒険心や活力を持った、男性的なタイプの人だったのではないかと感じます。彼女が好んだ男性は、夫のブリクセン男爵といい、親友あるいは恋人とされるデニス・フィンチ・ハットンといい、狩猟や冒険に生涯取り憑かれ、ひとところに留まらない、やはり少年のような心を持つ男性ばかりでした。それはたぶん、同類としての理解がお互いに生じて、最高の親友となり得たからではないかと思うのです。

 ブリクセン男爵が狩猟や軍隊の仕事のためにほとんど彼女の農園に寄り付かなくても、彼女はそういった生まれつきの放浪者であるような男性との関係を深く理解して、自分に任された農園の経営や異国生活を楽しんでいた、という方がむしろ本人の実感に近かったのではないかと思いますがどうでしょうか。

 なぜなら、彼女の生涯の恋人とされる親友デニス・フィンチ・ハットンも、その意味では同じタイプの男性だったからです。デニスは生涯をアフリカ大陸での冒険に費やし、当時の最速の乗り物であった、まだ草創期の飛行機を操縦して、ケニアの草原やキリマンジャロをはるかに見渡していたのです。

 彼は冒険や飛行の旅の合間に彼女の農園を訪れ、「新しい物語を聞かせてくれよ」と、カレンにフィクションの催促をしたといいます。彼女はデニスに聞かせるための物語を、次に彼が立ち寄る時までに考えておくことを習慣にしていたのでした。

 重力に逆らって空を飛び、羽のあるものだけに許された神の視点でケニアの大草原と切り立つ山々を見ながら、人間の限界ともいえるスピードに挑戦していたデニスは、やがて愛機の事故でさらに遠くの場所に行ってしまいます。

 このデニスとディネーセンとの関わりを軸にして描かれたシドニー・ポラック監督の映画、「Out of Africa」では、デニスの事故死を知らせに来るのが別居してナイロビに住んでいるブリクセン男爵である、という設定になっていました。妻の恋人である、本来ならばライバルと見なすべき男性の死を、妻への思いやりに満ちた礼儀正しさで知らせる男爵の姿は、ある意味同類でもあるかもしれない冒険家としてのデニスへの友情と敬意さえ感じさせて、秀逸な場面だったと思います。

 カレンが二人と別れたのち、男性名をペンネームとして名乗ったのは、もしかしたら、自覚的な性別がそちらの方に近い、という自然さの他に、彼ら最大の親友たちの魂を引き継ぎたい、という意味合いもあったのではないか、などと思っているのですが、根拠は全くありませんので、たぶんこんなこと言うのは私だけだろうと思います・・・。





 



 
 



            

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