(1)若き親衛隊ー1

 第二次世界大戦で、最も多くの犠牲者を出したのは、ロシア、当時のソビエト連邦でした。全人口の約10分の1がこの戦争により犠牲になり、割合においても、人口の6分の1が失われたポーランドに次ぐ数字です。

 この戦争に関する歴史のノンフィクションものが、60年代あたりには多く出ていました。『アンネの日記』がベストセラーになったのも当時であったと記憶しています。主としてユダヤ系の反ナチスもの、強制収容所の記録、フランス、東欧、ロシアにおける対独レジスタンスの記録などが出版業界ではひとつのブームだったようです。映画でも、東欧ロシア製はこの戦争を扱ったものぐらいしか、当時の日本には入って来なくて、公開されるとすれば反戦もの、だったので、こちら方面の国々ではこのテーマの映画しか作れないのだろうか、と、子供心に不思議に思っていた記憶もあります。

 そういったノンフィクション・第二次大戦を扱った記録文学のうちで、最も感動したものの一つが、ロシアのファジェーエフという人が書いた『若き親衛隊』という作品でした。私がこれを読んだのは児童文学全集の中のロシア編で、小学校5年生ぐらいだったと思いますので、60年代後半あたりでしょうか。


 

(2)若き親衛隊ー2

 太平洋戦争が始まるのは1941年12月からですが、ヨーロッパでは、1939年にドイツがポーランドに侵入した時点で既に第二次世界大戦が始まっています。大戦初期はドイツが東欧・フランス・オランダ・ノルウェイあたりまで占領し、ロシアも白ロシアやウクライナに至るかなり深部まで侵入されていました。ペテルスブルク=レニングラードは包囲され、食料の補給路を絶たれる文字どおりの兵糧攻めにあいます。

 1941年夏、ウクライナの小さな炭坑町だったクラスノドンにも、ドイツ軍がやってきて占領しました。その冬にさらにシベリア寄りのスターリングラードでドイツ軍が歴史的敗戦を喫し、ここからドイツ軍の敗走が始まって、戦線は再びじりじりと西に移動してゆくのですが、そうやってクラスノドンの町がもう一度ロシア軍に「解放」されるまでの約半年間に、ドイツ軍に対してレジスタンス活動を行い、発覚して、100名近かったメンバーのほとんどが犠牲になった地元の若者のグループが、「若き親衛隊」でした。

 実際のところ、彼らがやった活動というのは、今でいえばせいぜいティーンエイジャーのいたずら程度のものだったのですが(たとえばロシアの国旗を夜中に目立つ場所に掲げておく、とか、落書きをするなど)、これだけ多くの若者が犠牲になったということで、戦争中ということもあり、戦意高揚の目的もあって、かれらはヒーローにまつりあげられ、全国に宣伝されることになったのでした。戦後、作家・詩人のファジェーエフが彼らに興味を抱き、国の後押しもあってクラスノドンで念入りな調査を行い、それをもとにして書き上げたのが『若き親衛隊』でした。

 

 

(3)若き親衛隊ー3

 現在、独立国となったウクライナでは、『若き親衛隊』の物語は旧ソ連時代の教科書にのっていたということで、誰でも知っているけれども皆に嫌われているそうです(笑)。ほとんど「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の心理ですが、気持ちは分からないでもありません・・・。だから、うっかりウクライナの人やロシアの人にこの話のことは聞けないのですが、私が1960年代当時、単純に物語としてこの小説に感動したという事実だけは変わりません。

 私が強い印象を抱いたのは児童文学全集にのっていたダイジェスト版ですが、実はファジェーエフの初稿はこれに近かったようです。後で私が読んだ完全版では、若者たちだけでなく大人の活動についても描かれていて、ストーリーとしては冗長になって、むしろインパクトが薄れ完成度が低くなっていました。これは、若者たちの物語をすっきりと書こうとしたファジェーエフが、より国家宣伝を目的にしたかった当局筋から後で批判を浴び、大人たちの事績についても書き加えさせられたという事情があったからのようです。

 私は最初にむしろ初稿に近いかたちのダイジェスト版を読んだことが幸いして、ひたすらひとつの青春群像ものとしてこの小説を読むことができたのでした。ある極限状況に置かれた若者たちの、その制約の中で精いっぱい世界を愛し、切れば血の出るような生を急速に燃焼してゆく姿は、それだけでやはり感動させられるものでした。それが書かれた意図がなんであるにせよ、また彼らの死が後で国家宣伝に利用されたにせよ、そんなこととは無関係に、登場人物の少年や少女、青年たちのひとりひとりが身近に、いとおしいまでに感じられ、ピュアに美しい青春ドラマとして読めたのでした。

 少なくとも、1941年の夏から秋にかけて、駆け抜けるように人生を燃焼し尽くしてしまった若者たちがいたことを、私はその時知り、いまだに彼らの名前を覚えているのです。オレーグ、ウーリャ、ヴォロージャ、ワーニャ・・・たぶん、ロシア人にはいくらでもある名前なのでしょうけれども。そして、彼らがちょうど私自身の親世代であったことに、私はだいぶ後になってから気付いたのでした。


 

 

 

 



            

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