(1)飛ぶ教室ー1

 エーリヒ・ケストナーの『飛ぶ教室』が好きでたまらなかったのは、11歳ぐらいの頃・・・9年後、大学でドイツ語を習うと、”Das fliegende Klasszimmer" という原作をさっそく読もうと苦心しました。英語なら”The flying classroom" 、なんだ、まるでそのまんまの日本語訳の題名だったのかあ、と、あっけない?感じがしたあの時。・・・飛ぶ教室、なんて、ちょっとよく意味が分からないけれども、題名としてはパッと目を惹き付けるものがあるので、訳者の人が考えてつけたのかと思っていました。

 『飛ぶ教室』は、20世紀初頭ぐらいのドイツの都市にあるギムナジウム(全寮制中高等学校)を舞台に、主として5人の少年の学校生活を描いた作品・・・と一口で言えばそうなりますが、何がどう面白かったのか、は説明しないと伝わらないですね。ただ、この作品は、当時小学校の友達のやはり読書好きの女の子に勧めたところ、「つまんなかった」と言われてしまったりとか(笑)、大学の頃とある文芸自主サークルでこのことを書いたら「ケストナーはそんなお気楽なメルヘン作家として見るべきではない」と、生真面目な社会派ファンの先輩に突っ込まれたりしてさんざんな思い出ばかりで、いまだに人に勧めるにはトラウマが邪魔します・・・(笑)。まあ、単に、ちゃんと人を見て勧めなかったわたしが世間知らずだったのですけど。

 この小説はいわゆる少年小説とか少年集団ものに入る作品で、「男の子」要素の強い私にはとても共感を持てるキャラクターぞろいだったのですが、その女の子の友達はいかにも女の子らしい感性の持ち主だったので、面白みが全く感じられなかったのだと思います。また、社会派好きの大人の男性には、簡単に言えば、そもそもがメルヘンなんてとんでもない、小説は現実を直視すべきだ、という信念があったのでしょう。

 ・・・という前置きはどうでもいいのです。次に続けます。

 

 

 

(2)飛ぶ教室ー2

 さて、「少年集団もの」というジャンルは、実は私が勝手に考えて作ったもので、一般には通りませんのでご注意を。主として都市に生活する少年たちのグループの物語、たとえばハンガリー・ブダペストが舞台の『パール街の少年たち』や、『十五少年漂流記』のような冒険もの、『エミールと探偵たち』『少年探偵団』など探偵ものなど、バラエティに富んでいます。

 こういう少年グループの話がどうしてそんなに好きだったのか・・・弟と弟の友人たちの遊び、それは主に三角ベースの草野球だったり防空壕(昭和30年代にはまだ残っていた)探険、秘密基地作りだったりしたのですが、その中に混じって遊んでいたこと、ある程度こちらが大きくなると、彼らの中には入れなくなったけれども、内心男の子の遊びをしたくてたまらなかった・・・というのがあるかもしれません。男の子どうしの付き合いが、またサッパリしてる感じがして憧れでした。

 現実には、男の子の世界の付き合いだって決して甘いものではないのだけれども、そして、それから後の時代になってくると、子供の間のいじめなどが問題になったりしたので、子供だってつらいよ、というのは分かっていましたが、私が子供のころの、別の厳しさはあってもおおらかな時代、空地や何もない空や時間がたっぷりあった頃の、同世代の男の子の男の子らしさ、みたいなものは懐かしい。そういう、自分にとっての夢の自分、が生き生きと活躍している夢を見る・・・ことを実現してくれたのが、たとえばこの『飛ぶ教室』という小説でした。

 現実の自分といえば、眼鏡をかけたやせた女の子らしさのない子供で、学校に行く山道を歩きながら、お風呂の中でさえも本を読んでいた。・・・授業中もこっそり本を開いて現実逃避のトリップをしていたのですが、あの時代だからこそそれでも誰にもいじめられず、先生も見逃し、親も「本を読むのはいいこと」と放っておいてもらえたのだと実感するこのごろです。当時はまだ、本を読むことがマイナスのイメージを持っていませんでした。10年もすれば「暗いやつ」といじめられるようなキャラクターが、「おとなしくて本が好きなおねえちゃん」と、プラスに見てもらえる、おっとりした時代ではあったのだと思います。従って、たぶん、私の世代あたりが「文学少女」という、今は絶滅した女の子のタイプを生んだ最後の世代であったのでしょう。

(3)飛ぶ教室ー3

 で、ようやく『飛ぶ教室』の話になるのですが・・・・この物語は、ドイツの大都市(たぶんベルリン)のとあるギムナジウムで寄宿生活を送る5人の少年たち、家は貧しいけれども正義感の強いリーダー的な少年マルチン、芸術家肌でひとり親と別れ、外国から戻ってきたヨーニー、ふとっちょで大食漢、いつも食べることばかり考えている、でも優しくて力の強いマチアス、その親友で臆病者、病弱で小柄ないじめられっ子ウリー、頭がよく皮肉屋で、何ごともクールに突き放して見るけれどもユーモアセンスのあるセバスチアン、彼らを中心に描かれます。クリスマスの劇としてクラスで上演することになった「飛ぶ教室」という劇の練習や、その上演、クリスマス休暇に至る一時期を、彼ら一人一人の心の動きや成長に焦点をあてて綴っていきます。

 この5人の人物造型は、古典的な「少年らしさ」の典型的性格をそれぞれ凝縮して抽出したようなもので、現実の少年、あるいは少女さえも、誰もが少しずつ彼ら全員に似ている。そんな親近感を感じさせる見事なものだと思いました。

 現代のドイツのギムナジウムは男女共学だそうですし、20世紀初頭のころの都市の少年たちが描かれているということで、今はもう全く同じ光景は見られないのは当然ですが、私の心の中の「少年」のイメージの原型は、確かにこの物語と一致しています。もしかしたら、ギムナジウムの雰囲気は日本の旧制高校の雰囲気と通じるものがあったのかもしれません。ギムナジウム、旧制高校は、その後大学に進学することがほぼ決まっている男子生徒たちの、いわばモラトリアムの時間を過ごす場所であった、という話をどこかで読んだことがありますが、旧制高校はそうにしても、ギムナジウムについては多少事情が違っているかもしれません。

 

(4)飛ぶ教室ー4

 『飛ぶ教室』の5人の少年のうち、私が一番好きだったのは、実はセバスチアンでした。挿し絵では眼鏡をかけた少年に描かれていて、5人の中ではストーリーに直接影響を及ぼすことがなく、ほとんど傍観者の役割なのですが、そのクールなボソッとした照れ隠しのような発言やコメントが、いつも鋭く的を射ていて、却って特異なキャラとして存在感がありました。

 マルチンはライバル校の生徒たちとの決闘?でかっこいい役割を果たすし、ヨーニーは「子供の涙は決して小さくない。」というケストナーのテーマが描かれる場面の主人公です。マチアスは話題がいつも「腹減った」で落ちがつくコメディアンですが、思いやり深く力持ちなので、ちびのウリーをいつも気づかっています。ウリーは臆病者ということで他の生徒たちにバカにされているのですが、最後に皆の目の前で傘をパラシュートにして高いところから飛び下り、骨折はするけれども、それまでの臆病な自分を克服し精神的に成長します。

 クリスマスイブの日、寄宿舎の生徒たちはいそいそと両親の家に戻って行きますが、マルチンの家は父親が失業中で、帰宅のための切符が手紙の中に入っていません。涙をこらえながら寄宿舎でクリスマスを過ごす決心をしたマルチンの様子から事情を察した寄宿舎の先生が、そっと彼に帰郷のための費用を手渡します。雪の中、頬を上気させながら両親の家に戻るマルチン。予測しなかった息子の帰還に、両親は彼を固く抱き締めるのでした。



 

(5)飛ぶ教室ー5

 『飛ぶ教室』には、大人の代表として、ギムナジウムの先生たち、思いやりのある正義先生、その先生の親友である禁煙先生という世捨て人が登場します。禁煙先生は庭に廃車になった電車の車両を置いて、その中にストーブや家財道具を持ち込んで一人で住んでいるのでした。物静かな哲学者のような禁煙先生が世捨て人になったのは、悲しい恋の経験がきっかけだという噂があります。

 彼とじっくり話をしたい生徒たちが訪ねる電車の内部の描写が、いかにも楽しげだったので、私には電車に住むことがずっと憧れになっています。公園で廃車になったSLや市電の車両が緑や花に囲まれているのを見たりすると、今でも胸が高鳴ることがあるのは、この物語の記憶からでしょう。全く個人的な話なんですが。

 ギムナジウム、という舞台にやがて日本の少女漫画で再会したのは、5、6年後、萩尾望都の「11月のギムナジウム」「ポーの一族」「トーマの心臓」といった一連の作品を読んだ時でした。「ポーの一族」は吸血鬼という不老不死の人間ならざる魔物になった少年たちの物語。自らは成長することなく外側の時間のみが流れていく、という永遠のモラトリアムを生きる彼らにとって、ギムナジウムは絶好の隠れ家であったのでしょう。主人公の吸血鬼の少年、アランに恋したため、やはり吸血鬼になってしまう内気な少年の名前が「マチアス」。ここには『飛ぶ教室』の影響がやはり影を落としていたのでしょうか。

 日本の少女漫画におけるギムナジウムは、少年愛、男性同性愛を描く舞台として好まれていました。それは直接には、フランス映画『寄宿舎』のような、全寮制男子校を舞台にした少年愛ものの映画が影響していたのでしょうが、『飛ぶ教室』のマルチンとヨーニー、マチアスとウリーの友情にどことない同性愛の香りを感じていたのが私だけではなかったのかなあ、と、そこまで考えてしまったのは、やっぱり私らしい偏った思い込み(願望)にすぎないのでしょうね。



            

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