樹村みのり フラワーコミックス 小学館

(1)菜の花畑のむこうとこちら

 ぽかぽかした春の日、一面の黄色い菜の花畑に面した2階家、のどかな住宅街・・・そんな風景が、2、30年前の東京郊外にはよく見られました。

 樹村みのりの漫画に出て来る菜の花畑の隣の家は、今はもう失われた懐かしい郊外風景を思い出させてくれます。3人姉妹のおばさんと小さな女の子まあちゃんの住むその家に、ある時4人の下宿人が住みつくことになりました。4人は近くの短大に通う地方出身の若い女の子たち。女所帯で不用心だからと、最初は男子学生の下宿人を希望していたおばさんたちですが、この女の子たちの熱意に感じて同居生活を始めることになります。・・・

 そんな女性ばかりの大家族の日常に起こるさまざまな出来事を、ユーモラスに暖かくソフトな筆致で描いているのが『菜の花畑のこちら側』のシリーズです。

 樹村みのりの漫画の特徴は、洗いざらしの生成の木綿のような素朴な爽やかさではないかと思います。派手さはないけれども、暖かく柔らかく、包み込むような絵柄の雰囲気は、あくまで素直で優しく、いつまでも忘れられない何かが心に残っていきます。扱うテーマや視点も自然な真摯さを含んでいて、時にそれが痛ましいまでの無防備さを感じさせることもあります。飾り気のない素顔の、恥じらいを含んだ微妙な輝き・・・彼女の漫画を読んでいると、私が10代の頃、周りにたくさんいた友人たちの顔が、いつの間にか思い浮かんでくるのです。

(2)わたしの宇宙人

 樹村みのりの漫画を読んでいて当時の私が感動したことの一つは、男の子のキャラクターが私にとって実にリアルであったことでした。
 それまでの少女漫画に出てくる主人公の恋の相手の男性や男の子は、容姿も性格も全然私の好みではなかった、というより、現実離れしすぎて見えていました。

 ちょっと昔のホストみたいな女性的な容姿、いつ仕事をしてるのか分からないような生活態度(笑)、それでいてお金持ちだったりリーダーシップがあったり、なんて、そんな男性はまず絶対いそうになかったし、人間味や魅力を感じませんでした。だから、どうして主人公がその男の子を好きになるのか分からず感情移入ができなかったのです。また、女の子のキャラクターも自分とは全然違って見えていたので、やはり現実感を持って見ることができませんでした。従って、ラブストーリーはあまり好きじゃありませんでした。

 私の好みというのは皆に変わってると言われたのですが、ひょっこりひょうたん島に出てくるハカセ君みたいなタイプでした。ふつうはひょうたん島を見てる女の子はダンディを好きになるものよ、と友だちに言われたのですが・・・。ともかく、メガネをかけてクールでおとなしい感じの男の子が好きでした。自覚はしてましたが、それは父と似たタイプ、ということになります・・・。

 樹村みのりの漫画で、ほんとに私は初めてメガネをかけた男性が相手役として出てきたのに出会ったのです。それは嬉しい衝撃でした。ああ、ここに、やっと私も好きになれる男性のキャラクターがいる、と思いました。女の子のキャラクターも地味めで素顔ぽくナチュラルだったし、メガネをかけてそばかすのある女の子が主人公になっていたりしました。身なりに構わない、誠実で不器用な照れ屋の女の子、そんな女の子が時折見せるキラキラした表情の微妙な美しさや魅力を、樹村みのりは自然に描いていて、身近にいる友だちや同級生を見ているようにリアルな感じがしました。

 「わたしの宇宙人」を読んだ時、私はそこに出てきた男性のキャラクターに惚れ込んでしまい、「ああ、こういう人が私の理想の男性だ! こんな人と結婚したいなあ」と、少女漫画を読んでいて初めて思ったのでした。

 「わたしの宇宙人」は、画廊勤めの女の子が、ある晩友だちの結婚披露宴の2次会で飲み過ぎてしまい、朝目を覚ましたら隣に知らない男性が・・・という、よく考えてみたら当時としてはいくらでもドロドロした展開にできるシチュエーションで始まるのですが、全くそんなことはなく、樹村みのりらしいとぼけてほのぼのしたストーリーになっていました。その彼は生真面目な男性で、メガネをかけ直すと、「責任を取ります。結婚して下さい」とその場で頭を下げ、大まじめに彼女の家までついて来て、両親に結婚を申し込むのです。

 そんな冗談みたいなきっかけで結婚した2人の話が、これまたユーモアを含んでほほえましく語られていきます。いつも妻に「あなた」と呼びかけ、「ぼくもそう思います」などと、敬語を使って話す実直そのものの彼は、照れ屋で無口だけれどもどこまでも優しく誠実です。そんな男性は、それまでの少女漫画の主人公としては全く出てこなかったけれども、身近によく見かけるようなルックスだったし、それに近い性格の男の子もたくさんいて、容易に思い入れができました。読んでいて、ほんとに彼が好きになってしまうのを感じました。

 やがて2人に子供ができて、2人が道を歩きながら、「ぼくは一度も男らしく、なんて言われないで育ったんですよ。」「わたしも。」なんてしみじみ話をする、そういうシーンがずっと記憶に残っています。

 樹村みのりの漫画に出てくる男性や男の子は、決してかっこいいわけではなく、外見も地味だけれどもほのぼのと優しく、おずおずと恥ずかしそうに思いを口にする。それでいて男らしさ、少年らしさが自然に見える、私にとってはリアリティのある理想的なキャラクターでした。女の子もまた、それに近い自然さで、菜の花のようにつつましく優しい、でもやはり少年のようなところのある不器用なタイプ。こんなキャラクターのラブストーリーに、私は最も現実味のある夢を感じたのでした。・・・・

(3)おとうと

 樹村みのりの漫画には、よく「おとうと」が登場します。おとなしくておっとりした姉さちこさんと、やんちゃで正義感の強い弟昇平くんのシリーズ「おとうと」「お姉さんの結婚」「ウルグアイからの手紙」の3作がその代表的なものでしょう。

 昇平くんを始めとした少年のキャラクターは、パワフルな悪ガキでそれでいてナイーブで照れ屋、という、いわゆる正統派クラシックな少年そのものなのですが、彼らがいかにも生き生きとリアリティのある感じがするのは、樹村みのりに本当に弟がいたからなのだろうか、とも思ったりします。

 樹村みのりの漫画に出てくる男性は、それが中年男性であってさえ、みな少年ぽさの残る性格で、やはり「おとうと」的なタイプであるように見えます。女の子にとっての男兄弟、特に弟は、幼い頃は一緒に遊び、そのうち別々の世界に住むようになるのだけれども、常に近くにいて、何も話さずお互いに無関心のようでいながら、ちゃんとどこかで存在を感じ見守られたり見守っている、そんな微妙な同居人です。

 昇平くんにとって、おっとりしすぎの姉は、いつも人に騙されたりして損をしているのに気付かないでいるお人好しのように見え、いらだちの対象になります。彼女自身は別にそのことを気にしていないのだけれども、正義感の強い昇平くんは何とか姉を助けようとする。そんな弟の気持ちがさちこさんにはほほえましくくすぐったいものに感じられます。

 そんな風に、弟は幼くてもどこか骨太な男らしさを秘めていて、ふとそのことに気付く時、姉はたじたじとすることがあります。弟がいきなりまぶしく見えることがある。さちこさんが東京の大学に行くために家を出る日、昇平くんは挨拶もせずに山登りに出かけてしまうのだけれども、手渡された手紙を電車の中で読んださちこさんは、そのあまりに青臭くきまじめな内容に笑いを抑えることができなくなります。

 姉へ、
  人生は「なぜ」という疑問詞の宝庫であり、
  生きるとは、行動と意識の渦中における
      数限りない覚醒の連続です。
    ・・・(中略)・・・

   それらは星のように輝くでしょう。
   生きよ、生きよ、生きて苦しめ!
   幸福を祈ります。
              昇平  

         「ポケットの中の季節2」フラワーコミックスより

(4)ウルグアイからの手紙

 さちこさんと昇平くんの姉弟シリーズの最後にある「ウルグアイからの手紙」は、さちこさんの高校時代の初恋の物語です。

 ある日、学校帰りのバスの中でさちこさんが出会った若者は、小学校5年生の時に3ヶ月間同級生になり、すぐまた転校してしまった吉田くんでした。吉田くんはその後、両親を亡くして一人になり、各地を転々としながら写真の仕事をしていて、この街に戻ってきたのです。

 吉田くんは小学校の時、つかの間の同級生だったさちこさんに勉強を手伝ってもらったことを忘れていません。さちこさんは吉田くんに惹かれるものを感じ、彼の仕事を手伝うために毎日夕方に写真館に行くようになります。吉田くんは小学生の頃からのさちこさんへの想いを告げ、彼女に会うためにこの街に戻ってきたことを打ち明けます。しかし、同時に彼はこれからウルグアイに旅立つことになっていて、彼女に別れを言いに来たのだ、とも・・・。

 この放浪者としての少年像もまた、樹村みのりの作品の中にくり返し出てくる主要キャラクターの一つです。たとえば「星の切符」の浮浪者のように、いつの間にかやって来て、短い時間を主人公と共に過ごし、主人公のその後の人生に強烈な影響を及ぼしながら、またいずこへかと去る、忘れ得ぬ旅人・・・。透明で穏やかな少年のような彼らの存在感は薄いように見えながら、彼らの言葉はそれゆえになお鮮やかな意味を浮かび上がらせてゆくのです。

  空よ空よ いつでもぼくらの頭上にあるきみよ
  ぼくらが失せるときにも きみのその広がりは永遠であるように

  ぼくはいつでも旅をして いつどこで生きようとも
  初めて会う人にも もう二度と会うことのない人にも
  できるかぎりの真実と誠意を尽くすだろう

 「旅にでる時のね おまじないなんだ」
 吉田くんはそう言ってさちこさんに微笑みかけます。さちこさんはその時、彼との別れを予感します。「長居をして愛する人を傷つけることのないように」と、ウルグアイへと旅立つ彼に、さちこさんは同様に微笑みを返すのです。

 2ヶ月後、さちこさんはウルグアイからの絵葉書を受け取ります。
 見知らぬ異国の美しい風景を写した絵葉書には、ただこれだけの言葉が書かれていました。

  「元気ですか? 
   幸福ですか?」
           
          引用「ポケットの中の季節2」フラワーコミックス

(5)翼のない鳥

 「むかし、むかし、あるところに3人の息子を持つお百姓さんがいました。」・・・「翼のない鳥」('75)は、こんなお伽話のスタイルで描かれている作品です。

 長男は働き者、次男は賢くて、・・・そして3男のジョーイが物語の主人公。ジョーイは幼い頃から、空を飛ぶことを夢見る夢想家でした。村で一番高い木に登り、いつも飛ぶことばかりを考えているジョーイを、村の人たちは変わり者と呼びます。

 ジョーイはやがて故郷の村を出て、いつか空を飛ぶことを夢見ながら、さまざまな人々に出会い、さまざまな体験をします。鳥になるための修行をする人たちの集まる村で、鳥が現実には自由でなく、飛ぶことでさえ季節や風の方向に左右されることだと気付いたジョーイは、自分が鳥のように飛びたいと思ったことは、鳥そのものになることとは違うと知り、村の人々に別れを告げるのでした。

 理想のために闘っている人たちの村では、まさにその理想のために生じる争いで人を殺しそうになり、その場を離れますが、次に出会った山の中で自給自足の生活をする少女との恋もまた、少女の思いがけない死によって終わりを告げます。少女との恋が実った時、ジョーイは夢の中で空を確かに飛んでいたのですが・・・

「飛ぶこととひきかえにひとりぼっちになるのなら
 飛べないほうがいい」

 愛する人を失って心にぽっかりと空洞を抱えたジョーイは、荒れた生活をしながら放浪を続けていきます。時はそんなジョーイのことなど知らぬふりでひたすら流れていくのでした。やがてある日、以前鳥になろうとして修行していた仲間の若者が、すっかり落ち着いた紳士になってジョーイと再会します。

「今のきみではたとえどんな翼がついても重くて飛び上がることさえできない。」

 彼の言葉は真実でした。
 長い荒れた生活で、心も体ももはや飛ぶ望みを捨ててしまったのに、望みはまだジョーイを捨てていなかったのです。
 そのことに気付いた時、彼の心にゆっくりと解放感が芽生えてきました。

 彼が今まで見たもの、出会った人々、あらゆる自然を思い出し、内側から沸き上がってきた暖かな思いは、自分の命が花でも草でも、他の誰かのものでもありえたことをジョーイに知らせました。彼は自分が鳥でもありえたのだということをその時はっきりと理解したのです。

 その後のジョーイのことは分からないけれども、噂によれば髪の長い女の子と結婚し、幸せに暮らしました、と・・・

 この寓話には、当時20代後半だった樹村みのりのそれまでの心の遍歴が投影しているように感じられるのは、私だけのことでしょうか。やわらかな絵柄で語られるメルヘンの奥深いところに、彼女の抱いていた理想と現実との相剋がもたらしたであろう挫折感や、心の痛みが横たわっているような気がしてなりません。それほどまでに、この寓話で語られた言葉は私の胸に響いてきて、その後いつまでも忘れられないものとなっているのです。

        引用「雨 樹村みのり短編集」 サンコミックス

(6)マルタとリーザ

 1979年6月、樹村みのりは東欧を駆け足で旅行し、その時の旅行記をプチコミック11月号に発表しています。彼女が訪れたのは主としてポーランドであり、ザクセンハウゼン強制収容所跡を訪問したことが描かれています。

 「13才の頃から強制収容所のことしか考えたことがありません。」と冗談めかして自ら書いているように、彼女にとっては特別な思い入れのある場所であったようです。ザクセンハウゼンの敷地の思い掛けない広大さが、現実にその場に行ってみて最初に印象づけられたことでした。ワルシャワの街では、そんな歴史も忘れたように、静かでのんびりした風景を歩き、陽気な子供たちの似顔絵を描いて人気者になったエピソードが語られています。

 「マルタとリーザ」は、それに引き続き79年12月号から80年2月号まで連載されました(マンガ少年)。この作品は、ポーランドの作家ゾフィア・ポスムイシによって書かれ、アンジェイ・ムンク監督によって映画化もされた(監督の不慮の死により未完)『パサジェルカ』という小説を原案としています。戦争中に看守として強制収容所に配属されたドイツ女性リーザと、囚人であるポーランド女性マルタの関わりと、正義と良心、人間的葛藤を描いた、重たくはあるけれども突き抜けた清冽な印象を残す不思議な作品になっています。

 リーザは看守としてやって来た収容所の現実を見て、それまで信じていた自分の祖国に対する理想が揺らぐのを感じますが、そこで淡々と、しかし決して屈することのないマルタに出会って心を惹かれ、彼女を自分の力で救おうとします。しかし、看守と囚人、ドイツ人とポーランド人、敵味方という立場の違いがある以上、その好意も屈折したものとならざるをえません。マルタはリーザに心を許すことなく、リーザもまた、結果的にマルタを見捨てて置き去りにすることになります。

 戦後何年もたって、過去は全てなかったこととして結婚し、夫と共に南米に向かう客船に乗っていたリーザがふと見かけた女乗客(ポーランド語でパサジェルカ)・・・リーザはその場に凍り付いたように立ち尽くします。・・・マルタでは?

 それが本当にマルタであったかどうかは最後まで分かりません。そのマルタに似た乗客とリーザは言葉も交わすことなくそのまま別れるのですが・・・・

 アンジェイ・ムンク監督の未完の映像に残るマルタもリーザもモノクロの画面の中で意志的に冷たく張り詰めていますが、樹村みのりの作品では、よりソフトに感情と心の微妙なゆらぎが描かれています。原作の厳しさは薄められて、ある異常な状況下にある人間どうしの葛藤を含んだ心の触れ合いが伝わるのですが、解けない謎のままに取り残されるような一種の心細さを生じさせる不思議な感じはちゃんと残っています。樹村みのりのマンガの中では特異な魅力を持った作品の一つであると思います。

  どんなに人間的に彼女に対そうと どんなに彼女を擁護しようと
  これが彼女の返答なのだった
  わたしが看守で 彼女が囚人であるかぎり・・・?

  マルタを愛したために わたしこそが収容所の囚人だった

              「あざみの花」より

 

(7)ローマのモザイク

 もうひとつ、樹村みのりの旅の話について。1973年のイタリア旅行を題材にした「ローマのモザイク」は、ほのぼのと心あたたまる作品になっています。旅行記は星の数ほどありますが、漫画で描かれた旅行記に特に楽しく読めるものが多いのはなぜでしょうか。ここでは、樹村みのりの明るく素直な持ち味がとてもよく発揮されていると思います。

 ローマに出かけた彼女は、以前から憧れていたクォ・ヴァディス聖堂を訪れるために、グループから離れて一人でアッピア街道を歩きます。この頃、まだまだ日本人の観光客は少なかった時代・・・たまたま車で通りかかった中年のイタリア人のおじさんに道を聞いて、そのおじさん、マリオ・ピンナ氏と出会うことになった彼女、底抜けに親切でひとのいいマリオおじさんに聖堂だけでなくカタコンベまで案内されることになります。

 彼女はイタリア語はひとことも話せず、マリオ氏とは言葉が通じないのですが、彼は構わずいろいろ説明しながら彼女の手を取って、発掘現場にまで押し入り、お坊さんに怒られたり・・・。ローマは物騒だから簡単に人を信用するな、と、旅行前にさんざん注意されていた彼女の警戒心もすぐ消えてしまいます。クォ・ヴァディス聖堂は、キリスト教に対する迫害を逃れるためローマから去ろうとしていた使徒ペテロが、イエス・キリストの姿を見て、自分の臆病さを恥じ、再び布教のためローマに戻ったと言われる場所に建てられた聖堂です。

  ”クォ・ヴァディス・ドミネ?”(主よいずこに行きたもう)
    
  その時、ペテロがイエスに向かって尋ねた言葉がこれでした。

 マリオおじさんは彼女に発掘現場から黙って拾ったモザイクをお土産と言って渡し、あまりの親切に感極まった彼女は思わず泣き出してしまいます。空港まで送りに来てくれたマリオさんと固く抱き合って別れを惜しむ姿を、友人たちは呆れて見ていました。

 「ローマのモザイク」は、読んでいてこちらまで自然とほほえみ返したくなるような、そんな旅行記だと思います。

(8)星に住む人びと

 樹村みのりは1949年生まれで、いわゆる団塊の世代、少女マンガの昭和24年組の1人でもあることになります。この世代の漫画家の人たちが70年代の少女マンガに新しい潮流を作り、それまでの少女マンガの枠をはずしてマンガ界全体に活気をもたらし、その後の漫画に大きな影響を及ぼしていくわけですが、それは後から思えばそうだったということで、当時10代の1読者だった私にとっては単に「最近は面白くて読みごたえあって感動できる漫画が増えたなあ。」ぐらいの感じでした。

 樹村みのりは15才の1964年には既にデビューしていますが、そういった初期の頃から、戦死した父親のことを知らされる少年の心の痛みを描いた「トミイ」など、反戦テーマの作品が見られます。ベトナム戦争を描いた「海へ」は、平和な海岸を駆ける少年の夢を描き、タルコフスキーの「僕の村は戦場だった」を思い出させます。樹村みのりの同世代感覚として、当然ながらベトナム戦争は大きな意味を持っていたのだろうと感じさせられます。

 「星に住む人びと」(’76)は、75年5月のベトナム戦争終結の歴史的事実を漫画の中に描き込んだ、少女漫画としては珍しい作品かと思います。第二次大戦後数年たって生まれたある少女の成長過程を淡々と描き、その背景としてベトナム戦争や戦後の歴史のニュースが自然に挟まってくる短編で、ごく日常的にそういった歴史を意識していたある世代の感性が生き生きと伝わり懐かしさを覚えます。

 この作品の中で軸となっているのは、戦後すぐに5才で亡くなった少女の姉の想い出であり、この不在の女の子は彼女に会ったこともない妹の人生の節目ごとに、その頃の姿のまま想起され影響を及ぼすことになります。戦争の犠牲となった家族の想い出が、時代の背後にあるもう一つの戦争、ベトナム戦争につながっていき、やがて自分の生き方を見つけていく妹の心の成長がパラレルに描かれていく。ベトナム戦争の終結は彼女たちの世代にとって一つの時代の終わりを象徴していたのだということも分かります。

  姉の墓石は雨風で丸くなった小さい石だった
  ・・・・
  けれども想いの中の子どもは少しもそこなわれることはなかった

******************************************

  わたしたちが
  見ることのできた
  ベトナム戦争のおわりは
  そんなふうにそっとだった

  次の日 わたしは外へ出て いちばん最初に言葉をかわしたい人の
  ところへ向かうため 午後の明るい町を歩いて行った
               − 1975年5月


 「星に住む人びと」は、
 初夏の明るい陽射し、すがすがしい風を感じる、そんな短編でした。
 
     

(9)母親の娘たち

 樹村みのりの漫画の魅力は、等身大で派手さのない素朴な日常性、素直な暖かさだと思いますが、そうであるがゆえにまた、さまざまな人生や社会の問題についてもまともに見たり考えたりしてしまう、そういう不器用さ、かっこ悪さともいえるような誠実さが滲んでいます。そしてそれは、時にどこまでも優しくありながら厳しい指摘にもなってくる・・・・何ごとも軽く済ませることができないために、深淵を覗いてしまい、見抜いてしまうがために傷付きもし、また深い喜びも感じることができる・・・人としての信頼性は高いのですが、こういう人が近くにいて心を覗かれたりしたらある意味で怖い気もするし、本人は辛いことが多いのではないかと感じてしまいます。

 「母親の娘たち」('83)は、彼女が30代になってからの作品です。常に等身大の物語を描いていく樹村みのりらしく、もと中学の同級生同士だった2人の30代の女性たちのそれぞれの人生を追っています。中学時代、おとなしく真面目だった舞子は、実家で母親と同居する2児の母。一般的に言って恵まれた生活をしていますが、ふと感じることがありずっと会っていなかった同級生の麻子に連絡を取ります。

 麻子は中学高校時代はちょっとした問題児で、好きな教師の授業では満点を取るのに、嫌いな教師の授業では白紙で答案を出したりする気侭なところのある女の子でした。気丈なシングルマザーの母親に育てられ、自分を主張することのほとんどできない舞子から見て、彼女は正直で自由な人間でした。

 麻子はずっと独身のままイラストレータをやっていて、好きな人がいる、ただし女性だけれど、と、舞子にごく自然に告白します。麻子は自分は年上の女性に愛されることが必要なのだ、と気負いも衒いもなくさらりと言い、その恋人を舞子に会わせたりします。

 舞子は麻子との関わりの中で、だんだんと自分の問題を明らかにしていきます。結婚し母親になった後も、自分の母親の強烈な影響から逃れられないでいることに気付いた時、彼女は母親の家を出て新しい人生を見つけていくのですが・・・・

 今となってはそれほど新しい感じのしないストーリーではありますが、80年代の初めの頃に、30代の女性の心の成長について、あるいは同性愛についても、まともに扱っていた女性の漫画家はほとんどいなかったのではないかと思います。

  「連載中、男性の読者のひとりから、『なぜこんなわかりきった事を言葉で長々と説明しなければ
   ならないのか』というようなお手紙をいただき、わかりきった事を言葉で長々と説明しようとし  
   ていたわたしはメゲました。」

                 引用「母親の娘たち」河出書房新社刊


 母親と娘の関係・葛藤についてそれまで語られることが少なかったので、あえて取り上げてみたかった、と樹村みのりはここで語っています。女性同性愛に関しても、あまりに自然にさらりと語られているのでその時は気付かなかったのですが、肉体の問題まで正面から扱っているところが後から考えると驚きでした。ことさらに飾り立てるでもなく、大袈裟に騒ぐでもなく、淡々と普通に女性を愛する女性の気持ちを描いたこの作品は、時間がたつほどに忘れられないものとなっています。



 



 

 

 

(10)ポケットの中の季節

 菜の花畑のシリーズ(’75ー’76)は、1970年代前半ごろの東京郊外の住宅地の雰囲気がよく伝わってくる作品だと思います。現代ほどせわしくなく、人間のやることが限られていて、ゆったりとした時間の流れの中で移ろう季節の記憶。・・・子供たちは適度にほったらかしにされ、細かいことは言われずわんぱくでハチャメチャでも自然に風景の中に溶け込んでいます。菜の花畑や林があったり、人の数も少なく、空間的にもぽっかりとゆとりがありました。何もない、何もしないぼおっとした無駄な時間というのも堪能できた。「間」や陰影がまだまだ多くて、誰の目もなく一人になって空想に耽ったりできる場所が家の中にも外にもいくらでも見つかったように思います。

 そういう郊外の家でのほのぼのとした日常の雰囲気が、菜の花畑のシリーズを読んでいると自然と思い出されて来る感じがします。中年女性の姉妹3人と幼稚園児の女の子まあちゃんが住む家に下宿することになった女子大生4人は、女性ばかりの大所帯で毎日楽しく過ごしますが、両親が別れ話の相談をするために預けられることになったわんぱく少年たけしくんを始め、さまざまなお客も滞在し、平穏な日常を彩るエピソードが重ねられていきます。

 その年の暮れ、4人のうち2人が帰省して、長い髪で少しだけワルぶったネコちゃんと、素朴なメガネ娘の森ちゃんの二人がおばさんたちに頼まれてまあちゃんと3人で2晩留守番をすることになったのですが・・・女の子3人だけの一軒家の夜は、ふだん大人数でわいわいやっているだけにちょっと寂しく心細い。怖い話などをしてまあちゃんが寝付き、雰囲気が盛り上がった頃、玄関のチャイムが鳴りました。

 そこに立っていたのはおばさんの甥で隣町に住むというつとむくんという若者でした。「おばさんに若い女の子とまあちゃん3人だけで心細いだろうから泊まりに行ってほしいと頼まれたんですけど」そういう彼を、2人は喜んで迎えます。つとむくんはメガネをかけておとなしく優しそうな若者だったので自然に受け入れたのかもしれませんが、今どきだったらちょっとこういうことは考えられないだろうとは思います。やはりまだまだ大らかな時代であったのだなあ、と、今となっては思うのですが、初めて読んだ当時には私もこの状況をごく自然に受け止めていたのを思い出します。

 つとむくんは2日間を3人と一緒に過ごし、ひたすら優しくにこにこ微笑みながらまあちゃんを見守っています。「しばらく見ないあいだに大きくなったなあ まあちゃん。」・・・そう言う彼の表情は慈愛に溢れています。彼は森ちゃんたち2人に一人の若い綺麗な女性の写真を見せ、たきちゃんというその女性の消息をたずねます。たきちゃんは以前この家でお手伝いさんをしていて、つとむくんは彼女にひそかに想いを寄せていたのだけれども、気持ちを打ち明けようとするといつも彼女は耳に手を当てて何度も聞き返すので、ついに言いそびれてしまった、と彼は恥ずかしそうに告白するのでした。

 やがて2日があっという間にたって、おばさんたちが家に戻って来ました。森ちゃんたちがつとむくんを会わせようとすると、彼の姿は消えていました。そして、まあちゃんは2日間ずっと一緒にいた彼の姿を見ていなかったことが分かりました。おばさんは彼の名前を聞くと驚いてこう言います。「つとむくんって、2年前のいまごろ病気でなくなられたんだけど」 森ちゃんとネコちゃんは「じゃあ、私たちが見たのはいったい・・・」と震え上がります。

 「でも、つとむくんならユーレイになって出てきても悪いことできるような人ではなかったでしょ。」おばさんは穏やかに微笑みながら言います。森ちゃんたちはつとむくんが見せた写真をおばさんたちに見せて、たきちゃんの話をします。

 「おやおや つとむくんのユーレイ氏は たきちゃんのこと好きだったの?」
 「言いそびれちゃったんですって こんなふうにいく度もたずねられるので」

 おばさんたちはそれを聞いて驚いて顔を見合わせました。

 「たきちゃんはお嫁に行ってもう2児のママよ。」
 「たきちゃん 小さい時の病気が原因で 片ほうの耳が全然聞こえなかったのよ。
  それでよく こんなふうに いく度も聞き返していたのよ。」
 「知らなかったのね つとむくん・・・」

 3年前の情景が、ふと森ちゃんたちの目の前にありありと浮かびました。新緑の木の下で、たきちゃんに想いを告白しようとするつとむくん。

  なんて なんて言ったのですか?・・・・
  すみませんが もう一度言ってください

  ・・・あなたがとても好きです

  聞こえません もう少し大きな声で・・・

  あなたをとても愛しています・・・・


 そんな夢の情景を見ながらこたつで眠りこんだネコちゃんとまあちゃんのそばで、除夜の鐘が鳴り響き、おばさんたちと森ちゃんは新年のお祝いの乾杯をします。

  新年おめでとう****

          引用「ポケットの中の季節2」 小学館フラワーコミックス


 

 

 



            

©2001-2002 chatran