ますむらひろし スコラ漫画文庫シリーズ スコラ

(1)アタゴオルは猫の森

 アタゴオル、とは、どこにもない場所で、猫と人間のユートピアです。この世界ではもののサイズがなんだかちょっとずつ大きい。果物も花も食べ物も大きくて丸いのですが、ふと考えてみたら、これは猫の目で見たものの大きさなのかも、と気付きました。一般に、可愛い、と言うとミニチュアで、もののサイズを小さくして可愛さを出すことが多いようですが、ここでは逆で、サイズを大きくしても可愛く見えることがあるんだ、と、少しばかり瞠目しました。

 ますむらひろしのアタゴオル・シリーズは、一風変わった幻想メルヘンですが、この夢に満ちたユートピアの主人公がヒデヨシという大食漢の大猫であるところがまた最高に楽しいのです。いつも食べることばかり考えていて、妙に徹底したリアリストであるヒデヨシは、かっこよくもないしダメダメなキャラクターですが、多少厚かましいところも憎めなくて可愛い。アタゴオルの猫たちは人間と同じサイズで、直立歩行をしています。もちろん人間の言葉をしゃべり人間と対等に付き合っています。

 これは猫という動物の特徴をうまく生かしていると思います。何やら神秘的哲学的に見えることもあれば、ずる賢くすばしっこくも見え、一方でお間抜けで全然やる気のなさそうな、何も考えていないからこそ何を考えているのか分からない、という、リアリストとロマンチストの両方の要素を持った身近な野性・・・

 アタゴオルのようなメルヘンの世界にフェアリーみたいな美しいキャラクターばかり置いて、浮き世離れした夢のようなセリフばかり言わせている、というのはさすがに作者は恥ずかしかったのではないか、とは家人の指摘。こういう図々しい図体の大きい食欲の固まりの大猫が綺麗な蝶よ花よのメルヘンランドのまん中ででおバカをやって相対化しているからこそ、照れずに何とか続けることができるんじゃないか、と・・・そういう感覚はとても理解できる気がします。もっとも、このキュートなお笑い猫がひたすら食べることを追求し、メルヘン世界にとって致命的な生活リアリズム的興醒め発言をくり返せばくり返すほど、アタゴオルの世界が夢のようにやわらかく美しいユートピアとして完成度を増していくように見えるところが不思議です。

 

 

(2)星ミカンの島

 アタゴオル物語の主人公である食い意地のはった大猫ヒデヨシのかけ声は、「イエ! 紅まぐろ!」・・・ヒデヨシは色気より何よりまず食い気、なので、女の子にもあんまり関心がありません。太っておおきなお腹を揺らしてボンゴという大太鼓を叩く彼のパワーはものすごい。それも全ては紅まぐろや銀くじらのためです。

 アタゴオル物語に出て来る食べ物は、現実にはあり得ないものなのですが、何だか食べてみたくなる、憧れをそそるネーミングです。紅まぐろはヒデヨシの身長と同じぐらいの大きな魚ですが、やっぱりおいしそうな響きだし、銀くじらというのも・・・ヒデヨシの頭の中をのぞいてみれば、そういった食べ物のイメージに満たされていることが分かるでしょう。

 もう一つ、憧れの食べ物は星ミカン。とある島の特産物で、数が限られるため、めったに口にできない貴重品です。これはいじきたなく一人じめしてたくさん食べたりすると、身体が星の形になってしまい激痛に悩まされるのです。ヒデヨシももちろんそのひとり。彼を救ったのは夜空に輝く星の女神でした。

 ヒデヨシとは全然性格の違う猫で、唐揚げ丸というキャラクターもいます。彼は芸術家肌で寝食を忘れてバイオリンをひいています。こちらはあまり食べ物には興味がなさそう・・・・何やら神秘的な哲学者めいた彼の性格も、猫のある一面を代表している感じです。

 ヒデヨシを脅かす悪役ライバルは「欠食ドラネコ団」の3匹です。「ぼっぼっぼくらは欠食ドラネコ団〜」と、テーマソングを歌いながら登場、食べ物をめぐりヒデヨシたちと熾烈な争いを・・・人相(猫相)が悪い野良猫たちですが、やはりどこか抜けていていまひとつ詰めが甘い。村をおびやかす盗賊団のはずなのに、恐れられるよりもむしろ皆に呆れられているところが楽しいです。



 

(3)霧にむせぶ夜

 ますむらひろしの処女作は、1972年、20才の時に「少年ジャンプ」の手塚賞に準入選した「霧にむせぶ夜」ですが、これは76年以降80年代にかけてのアタゴオルものに発展してゆく、猫のメルヘン世界の原点が見られて興味深い作品です。

 私はこの「霧にむせぶ夜」をリアルタイムで読んだ読者の一人ですが、猫の絵があまりにリアルで細かいのに驚き、また、怖い中にも奇妙にユーモラスな猫たちの不思議な夜の世界に魅惑され、その後ますむらひろしの名前は忘れても作品のことはずっと覚えていたのでした。何年も後になって、「アタゴオル物語」の作者とこの重ためのテーマの作品の作者が同一人物だと知った時の衝撃・・・この二つを結ぶ線といえば「猫の幻想もの」というところなのでしょうが、同じ猫を扱ってもここまで正反対の印象を与える作品が描けるのか、とつくづく感慨深かったです。

 「霧にむせぶ夜」は、猫の毛一本一本が全部ちゃんと描き込んである、などと、新人賞の審査員の人たちを驚かせていました。猫の出て来る漫画は数多くありますが、ここまでリアルに猫を凝視して極細部まで徹底的に描いた絵というのは後にも先にも見つかりません。これは猫に対するほんわかした愛情などという生半可なものではなく、ほとんどパラノイアックでさえある、猫にとりつかれたような凄みを感じさせました。といっても一方でクールに相対化する視線もあり、重たく張り詰めた中にもすっとぼけたおかしみがあって「抜いて」くれるのですが。

 この物語は、人間たちの身勝手による地球の環境破壊に怒った猫たちが、深夜集会を開いて人間撲滅の構想を練る、というもので、当時問題になっていた公害をテーマにしています。ますむらひろし自身の話によれば、水俣病にかかった猫の映像をテレビで見て、自然の怒りを猫の表情から感じ取り、人間たちにリベンジしようとする猫たちの話を思い付いた、とのこと。

 のちにヒデヨシという無責任でとぼけた究極の猫のキャラクターを産み出すことになる原点に、こういった自然の怒りを体現する猫、というシリアスな視線があったことに私は何よりも興味を覚えます。猫への盲目的溺愛というだけでなく、猫への怖れの感情もあるところが、本物の猫マニアだと感じるからです。猫という動物は、決してひたすら可愛いだけの相手ではありません。人間のすぐ近くにいながら、クールに距離を保っている、身近な野性であり、夜中に目を光らせたりしている様子を見ればゾッとさせられることもある、小さな猛獣なのです。眠ってばかりいてもどこか威厳のある、侮れない相手です。

 「霧にむせぶ夜」のリアルな怒りの猫たちの世界は、ちょうど反転させればアタゴオルののんびりしたユートピアになるのでしょう。ヒデヨシのキャラクターがあれほどキュートで魅力的なのも、ありえないメルヘンの世界であるアタゴオルに不可思議なリアリティがあるのも、そういったヘビーな現実認識が基底部分に確固としてあるからこそ、なのかもしれません。



 

 

(4)銀河鉄道の夜

 ますむらひろしは宮沢賢治の童話をいくつか漫画化していますが、これが全部キャラクターを猫に置き換えているところが特徴的です。岩手出身の賢治と同じ東北(山形県)出身のますむらひろしのマンガには、確かに宮沢賢治の童話の世界と共通する何らかの感覚があり、彼が賢治童話を漫画化することには違和感がなかったのですが、登場人物を全部猫にしてしまうとはさすがに意表をつかれ、大胆なことをするなあ、と思ったのでした。

 けれども、実際に漫画化された「風の又三郎」や「雪渡り」「猫の事務所」「銀河鉄道の夜」「グスコーブドリの伝記」といった作品を読んでみると、猫が直立して人間の言葉をしゃべっていても、ごく自然にしっくりと受け止められるのが宮沢賢治の童話の言葉であり、またそれだけの広がりのある世界であることが分かりました。ますむらひろしのアタゴオル自体、賢治のイーハトーヴォを受けて作られたローカルな実在の地名の言い換えであり、その哀愁とユーモア、甘美さに満ちた猫のユートピアとパラレルに、あるいはきれいに溶け合って見えたのが賢治のメルヘン世界でした。

 ますむらひろしは中学時代に賢治の童話を読んで「なんでこんなに暗くてさみしい話を書くんだべな」と思っただけだったのが、単身上京して東京の下宿で暮らしていた二十歳の頃に読み返して、故郷の山の空気や葉の動きを思い出し懐かしい思いをしたそうです。このように、同じ空気と自然の風景の中で育った人にしか通じないような、言ってしまえば血縁のような感覚の共通性が、賢治童話のますむらひろし的読み替えをなだらかに和合しつつ行うことを可能にしたのではないかと思うのです。

 「銀河鉄道の夜」は、「猫の事務所」や「風の又三郎」に比べて、猫のキャラクターが賢治独特の多くの難解なセリフと場面転換にいささか負けている風にも感じられたのですが、そもそもが未完で謎に満ちたあの長篇の童話の雰囲気を全体としてうまく伝えていたと思います。銀河鉄道の座席に座り窓の外の風景を眺めながら
ジョバンニがつぶやく「ああほんとうにどこまでもどこまでも僕といっしょに行くひとはいないだろうか」という言葉も、突然親友でありただ一人の道連れであったカムパネルラの姿を見失った時の心細さとショックも、ごく素直に伝わってくるのでした。

 猫のジョバンニとカムパネルラが、木製の鉄道の座席にさし向かいでかわすこんな会話も、さらりと流れて自然に、けれどもいかにも賢治の言葉らしく心の最深部にまっすぐ入り込んでくる・・・そんな不思議な感覚に満たされながら読んだのでした。

 「けれどもほんとうのさいわいは一体なんだろう」
 「僕わからない」
 「僕たちしっかりやろうねえ」

             『銀河鉄道の夜』より



            

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