手塚治虫 手塚治虫漫画全集 講談社

(1)1989年2月10日

 私は手塚治虫に3回会ったことがある。

 一度は有楽町(今はなき)そごうの最上階にあるよみうりホールであった虫プロアニメの上映会の時、たぶん1980年頃だったと思う。映画上映後の講演と質疑応答が終わり、ホールの外のエレベーターの前で妹と話していたら、彼が花束を両手に抱えて急ぎ足でやって来て、ホールの関係者と軽い挨拶を交わすとあっという間にエレベーターに飛び乗っていなくなってしまった。

 子供の頃からの憧れの手塚治虫の実物がほんの1mぐらい先の至近距離を走り抜けて行ったのを、私はただただ呆然として見ているだけだった。声をかけたり握手を求めたり、ぐらいのことはできたのかもしれなかったが、私はとてもそんなことができるような性格ではなかった。ただ、思っていたより大柄な人で、声が大きくてよく通るなあ、と、そんなことをぼんやり思っていた。

 その次はたぶん86年頃。ある美術展覧会が新宿のデパートであって、たまたまそのレセプションの会場に入れる幸運に恵まれたことがあり、そこで出席予定者の中にいるはずの手塚治虫をずっと待っていた。もう会場が一杯になり、そろそろ乾杯、という時になって、ふと斜め後ろを見たら、ちゃんと彼が人に囲まれて立っていて、一緒に乾杯をしているのだった。私はやはり、さりげなく彼との距離をつめて立って、じっとそっちを見ていた。あまりじろじろ見るのも失礼かと思ったので、できるだけ何気なく・・・手塚治虫はまたしてもあっという間に駆け足で会場からいなくなってしまった。

 彼が一日の睡眠時間が1時間程度ということもあるぐらい、分秒刻みのスケジュールで漫画を描き、ネタとなる資料を読んだり映画を見たり、催しに出たりしている、という話は聞いていたけれども、本当だったんだなあ、とつくづく思った。私が見た3回とも、彼は移動の時には走っていた。普通の人の数倍の速さで人生の時間を走り抜けている、そんな感じがした。

 もう一度彼に会ったのは、高田馬場の駅前でのことだ。当時私は早稲田に住んでいた。手塚プロダクションのある高田馬場は生活圏内だったので、鉄腕アトムの看板の出ている手塚プロの入ったビルの一階のレストランでよく昼食を取ったりお茶を飲んだりした。そこから道路を隔てた向いがわに小さな本屋さんがあり、ある日そこで雑誌を立ち読みしようとしたところ、前に大柄な中年男性が場所を占拠しているのに気がついてちらりと顔をのぞいたのだが・・・なんと、それが手塚治虫だったのだ! トレードマークのベレー帽をかぶっていないと、髪の毛の薄いおやじという感じで、ちょっと目には別人のようなので、ごく自然に風景の中に溶け込んでいた。オヤジ系週刊誌をパラパラと読み切った彼は、またしてもあっという間に走り去ってしまった。

 こうして、3回ものチャンスに恵まれながら、言葉をかわすことも握手してもらうこともサインをしてもらうことも出来なかった手塚治虫だったが、私は彼が隣の町内で毎日仕事していて、同時代の同じ空気を吸って生きていてくれるだけで十分満足だった。またそのうちばったり会えるだろう、ぐらいに思っていたから。彼がいつかいなくなるなんてことは、思いも及ばないことだった。彼の漫画に出て来る火の鳥のように不死身なんじゃないか、とバカなことを考えていた。

 だから、それから更に数年後、新宿の喫茶店で隣に座っていたおじさんが読んでいた新聞に、「手塚治虫死去」と写真入りで出ているのを見た時は・・・・大変なショックだった。私はその知らないおじさんに思わずお願いして新聞を見せて頂いた。本当なんだ・・・もう手塚治虫はいなくなってしまって、彼の新しい漫画は永久に読めないのだ、と思ったら、ぽっかりと心に穴が空いたように寂しくてたまらなくなった。

 そういえば、雑誌の連載をしばらく休む、と出ていたけど・・・前にも何度もそういうことはあったし、きっと復活すると思っていたのに。ただ、その1年ぐらい前だったか、テレビのインタビューに答えていた
手塚治虫が、「アイディアはもういくらでもあるんです。絵さえ描ければ、手さえ動けば、いくらでも描きたいことがあるんです。でも、このごろ手がちゃんと動かない・・・マルが描けなくなってきました。」
 と、なんともいえず寂しそうな表情で言っていたことを思い出した。

 思わず涙が出てきた。
 新聞を見せてくれた知らないおじさんは、
 「手塚さんのファンですか?」と、笑いながら聞いた。
 1989年の2月10日のことだった。

 

(2)新撰組

 手塚治虫の「新撰組」のことを聞いたのは、中学の同級生の女の子からだった。とてもいい作品なのだが、書店では売っていないので、貸本屋さんで見つけるしかない、という話。当時鎌倉小町に一軒だけあった貸本屋さんに彼女の案内で連れて行ってもらい、ようやく噂の単行本を手にした時の喜びは今も忘れられない。

 その頃はマンガは親や先生には隠れて見るもので、教育にはよくないものとされ、それほどではないにしろ、少なくともマンガを読んでいるとサボっていると見なされ怒られることが多かった。制服のまま学校帰りに決められた通学路をそれて小町通りの小さな貸本屋さんに入ることは、それだけで怪しい後ろめたさのときめきがあった旧きよき田舎の中学生の私である。長時間立ち読みしていると、店番のおじさんがあからさまにしかめ面をしてこっちを睨んだり、わざわざはたきがけに来たりしてスリリングな場所でもあった。

 新撰組を扱った小説やテレビ番組は多いが、この作品が書かれた昭和38年頃には、まだようやく新撰組=悪役イメージが転換しつつある頃だったらしく、新撰組ものがブームになるのはそれより後になってからである。新撰組は幕末において幕府側の立場で長州の志士たちを弾圧したいわば「反動」、「朝敵」の烙印を押されていたため、その頃までは主として悪役としての役回りを舞台などでは与えられていたらしい。浅葱色の隊服のファッションセンス、天然理心流剣法の立ち回り、最後の武士道の体現、などといった要素が「かっこいい」と若い女性層を中心に受け取られはじめてから、彼らはいきなりヒーロー視されるようになったようだ。

 手塚版「新撰組」は、父の敵をさがす少年剣士深草丘十郎が新撰組に入隊し、近藤勇や土方歳三、沖田総司、坂本竜馬などと出会って成長していく姿を描いたもので、最後は隊の非情の掟や内部矛盾に気付き坂本竜馬の手引きでアメリカに脱出するというストーリー。したがって、新撰組そのものに対しては距離を置いて批判的な立場に立っているところがその後の新撰組ものの多くと一線を画していた。

 主人公が一緒に入隊した親友・大作と心の交流を深めていき、最後にその親友が実は長州の間者であったことが分かり、土方歳三に彼を斬ることを命令される場面は物語のクライマックスをなしている。「大作 許してくれ・・・」と、泣きながら歩く丘十郎の視線の向こうに、小さく見える大作の後ろ姿。大作はすべてを覚悟した表情で、自分を殺すために追い掛けてきた親友の方を振り返る。その静かな、むしろ相手を心配しているような、諦念のこもった澄みきった表情は、ほんの小さなコマなのにもかかわらず彼の心情を表現し尽くしていて、何度読み返しても涙が出てくるのだった。

 大作を逃がそうとする丘十郎の提案も断り、大作は「きみかぼくのどっちかが死ねばいいんだ」と、真剣勝負を申し出る。祭りの花火の上がる京の夜の河原で二人は親友としての最後の語り合いの時間を持ち、大作は丘十郎に未来のない新撰組を脱出するよう忠告する。

 やがて二人は最初で最後の差し向いでの真剣勝負。剣を構えて静かに立つ二人の頭上に上がる花火。大作と過ごした思い出の場面が丘十郎の脳裏を横切り、ためらいの一瞬に斬りかかる大作。死闘の末、大作は河原の砂利の上に倒れ、「よくやった・・・丘ちゃん・・・」と親友をたたえる。

  おれは 先に つぎの時代にうまれかわって きみを待ってるぜ
  いっしょにしるこを食おう・・・

 丘十郎はわれにかえり、親友の体に取りすがって号泣するのだった。・・・非情な組織に別れを告げる決心をした丘十郎は坂本竜馬の紹介でアメリカ行きの船に乗る。船上で彼が新撰組に思いをはせているころ、京の町では新撰組隊士たちが池田屋に突入していた。・・・

 この「新撰組」が、あの萩尾望都にマンガの道を選ばせるきっかけになった作品だということはよく知られている。手塚作品のうちではそれほど有名なものではないのだが、当時の一部の感性の鋭い少女たちにそれだけのインパクトを与えた作品であることは確かである。歴史的には言ってみれば反動のテロリスト集団にすぎない?新撰組がなぜそれほどに少女たちをひきつけたのだろうか?

 陰惨な斬り合いというよりも、そんな乱世の厳しい状況に置かれた少年たちの無垢な表情や葛藤を帯びた心の交流、といった一見裏腹な絵の表現が魅力的に、更に言えばセンシュアルにうつったからではないかと思う。お互いに深い友情を抱きつつ死を賭した真剣勝負をする美少年二人の姿にはなんともいえず同性愛的な官能の匂いがあって、ぞくぞくするようなものを感じさせたのである。

 萩尾望都がやがてその時の感動を源泉として、少年どうしの精神的な同性愛の物語を描きはじめ、70年代後半以降少女漫画の主流の一つともなる少年同性愛もののジャンル流行の先駆けとなったのはそれからしばらくの後のことだった。







 

 

 

(3)ひょうたんつぎ

 手塚マンガには、ストーリー展開とは全く関係なしにいきなり登場する意味不明のキャラクターがいくつもあって、その中でも人気もの?だったのがヒョウタンツギ。これは何というか、ひょうたんみたいな形にツギハギが当たっていて、ふて腐れたように見える目つきもおかしく、コマの隅っこで鼻から煙みたいなものを出して跳び上がったりする。

 ストーリーの場面展開がシリアスになって来るといきなり出て来たりするので、こちらは緊張を解かれてホッとしたり、意味はないのだけれども妙に目に焼き付いてしまうところが面白い。ストーリーそのものは忘れてしまっても、コマの端っこでジャンプしていたヒョウタンツギの絵だけはまざまざと眼前に浮かんで来るのである。

 それにしても、いまどき、ツギハギなんて言っても分かる子供がどのぐらいいるかと思う。パッチワークならば知られているだろうが、ツギが当たってるのは破れていたり壊れたりしたのをもったいないから自前で修理した跡なんだ、ということさえ分からないかもしれない。とすると、あの「ビンボくささ」というもともとの意味合いとおかしみが伝わらないわけになる・・・。

 あの謎めいたキャラクターは、動きはダイナミックなのに、表情はいつもしらけきっていて、一言も発せずにただ白いシンプルなヒョウタンにツギが当たってる、という存在を見せるだけでストーリーには何の影響も与えず、しかも一番印象に残ってしまう、というものすごい奴だった。

 あのキャラクターだけは、誰にでも簡単に真似して描けるし、初めて描いてもそれらしくなるので子供の頃の私はしょっちゅう学校の机などに落書きしていた。アトムやレオとなると、いきなり難しくなってくる。ヒョウタンツギはそういう意味でも人気キャラだったのかもしれない。

 ヒョウタンツギにいつのまにか影響され過ぎたのか、どうも私のその後の人生、ヒョウタンツギみたいになってしまったような気もしないではない・・・・



 

 

 

(4)おむかえでごんす

 よく分からないキャラクターでもう一つ、オムカエデゴンスというのも有名だが、あれもただカタカナで「オムカエデゴンス」としか言わないクールなキャラクターだった。誰が誰をどこに迎えに来たのか、全然分からない脈絡で突然出てくるところが、よけいにこのセリフを印象づけるという、逆の効果が出ていたところが面白い。

 ヒョウタンツギもオムカエデゴンスも、手塚治虫がアイディアを考えていて畳の上に寝転がっていた時などにひらめいたキャラクターだとか聞いたことがある。ともかく、どことなく四畳半の木造下宿の匂いの漂ってくるような・・・素朴でぬぼーっとした雰囲気があるのだが、それは一つには彼等がコマの隅っこの余白を主なテリトリーとしているせいもあるかもしれない。

 昔の四畳半の下宿の部屋というと、狭いながらも意外とぽっかりした空白部分というか、余白空間がいろいろと見つかるのだった。それは、特に寝転がってぼおっとしている時に気付くことが多い。白っぽい壁だとかすすけた木目の見える天井とかに、ふっと虫の姿を見つけたり、天井のしみをいろんなものに見立てたり・・・。

 そんなところから、あの有名なトキワ荘のことを思い出すのだけれども、昭和三十年代に若い漫画家たちが集まっていた椎名町の下宿も、同様にミニマルでありながらある意味で無限大の余白の広がりを持った四畳半の集まりだったのかもしれない、などと思ったりする。

 その余白、のことを、たとえばゆとり、だとか夢、だとか可能性、みたいな、分かりやすい言葉に置き換えてみてもいいのだが。





 

 

 

(5)ケン一くんとロック・クロック

 手塚マンガのキャラクター・システムは有名だが、これはまるで俳優さんが作品ごとに役を演じるのと同じで、ひいきのキャラクターが出てくると妙に懐かしく感じたりほっと安心したりで心地よく読み進めることができる。

 少年のキャラクターとして、ケン一くん、ロック・クロックあたりは代表的。ケンイチくんはもう最初期の「ケン一探偵長」から出てきているし、ロックは「来るべき世界」でも屈折した少年の役を演じていた。

 一般に、ケンイチくんは優等生タイプの善玉役で、アトムシリーズでの級長さんがティピカルな使われかただろう。のっぺりしたアジア系の顔、まるい小さめの目、といったルックスは、ケンイチという名前と相まって、平凡で毒のない善人の日本人少年、というイメージを作っている。

 ケンちゃん、という名前が日本人の男の子の名前としてポピュラーなもので、言葉を換えれば没個性的でもあり、私たちみんなの近くに必ず一人はいる男の子のタイプをイメージさせるのは確かだ。ケンイチ、ケンジ、ケン、ケンイチロウ、・・・見渡せばそこらじゅうにケンちゃんはいたのだから。しかも、外国人にも発音しやすく覚えやすい名前である点で、太郎・花子よりも優れているかもしれない。

 たとえば恐い顔をした大柄なおじさんであっても、彼がケンイチなんて名前で、ケンちゃんの一人だったとしたら、突然子供じみて親しみ深い感じがしてきてしまう、なんてことはないだろうか。

 ロックはそれに対して、よりアメリカナイズされたキャラクター。幅の広い大きなネクタイをしたりして、ファッションも派手ぎみだし、クールな美少年のタイプを素朴に表現している。リッチな感じだし頭の回転も速そうで、冷酷なところのある、まあ見ようによっては嫌みなやつ。こういうキャラはだいたい主人公のライバル役や悪役として使われるのが古典的には正しい使われ方である。

 ロックはいやみなやつ、だから、いつも孤独だし屈折している。美少年なので女性にも縁があるのだが、自分から相手に惚れることはないし、「バンパイヤ」でのように女の子を利用して殺してしまったりする。なぜ彼がそこまでしてしまうのかも謎で、どうも生来、存在そのものが悪みたいな、考えようによっては気の毒なキャラクターである。手塚治虫はロックを偏愛していたようなのだけれども、彼の美貌にも関わらず(あるいはそのせいか?)これでもかというぐらいにヒドイめに
ばかりあわせている。

 そしてその結果、ロックにはなんともいえない色気のようなもの?が漂い、多くの読者をしびれさせてしまったようである。ロックの悪の魅惑については、もういろいろな人が書いているので今さら言うことはないのだが、主役を演じた「ロック冒険記」の正義感の強い少年から、「バンパイヤ」のセクシーな悪役の青年、「来るべき世界」での、戦争に巻き込まれて心に傷を負い廃人となってしまう繊細な少年まで、陰影に富んだ幅のあるキャラクター展開は実に魅力的である。

 ただ、ロックの絢爛たる悪の輝きに隠れがちなケンイチくんのフラットな平凡さも、また逆に一癖あって気になったり、あるいはほっとする魅力なのである。ケンイチくんの心の中こそを、深いところまで覗いてみたい誘惑にかられるのは私だけだろうか?



 

 

(6)ピノコ、サファイヤ、メルモちゃん

 手塚治虫が宝塚市の出身で、作品に宝塚歌劇の影響が見られることも、以前からよく言われている。キャラクターの見た目が中性的であったり、女性キャラクターに色気がない、なんて言われることもあり、本人も悩んでいた時があったらしい。

 手塚治虫自身、気の強い姉御肌の女性が好みという話だった。で、占星術の12星座のうちでも最もお転婆?といわれる牡羊座生まれの女性と結婚したところ、期待に反して?意外とおしとやかで気が弱くてあてがはずれた、けれども虫プロが倒産した時はさすがの芯の強さを発揮して後始末に奔走し、妻を見直した、なんてどこかで読んだことがある。

 リボンの騎士のサファイヤ王子などは、いかにもの宝塚風のキャラクターで、一般に男性主人公の恋愛の相手としてのみで、いまひとつ人格が深められない傾向のある当時の少年少女マンガの女性キャラクターのうちでは、女の子から見て最もリアリティがありイキイキして感じられたと思う。見た目と役割=男の子、内面=女の子という葛藤に悩むところも、衣装による性転換という”変身”の楽しみも、絵的にインパクトと説得力があり分かりやすかった。

 実際、手塚マンガの女性キャラクターでは、幼女や少女の圧倒的な魅力と男装の麗人やお転婆娘(いまどきあまり言わないが)の存在感とリアリティに比べて、いわゆる大人の女性のキャラクターはいまひとつ類型的で印象に残らないきらいがあるのは確かだと思う。

 手塚家の子育てを描いた「マコとルミとチイ」では、のちに映像作家になった長男の真氏が少年の頃からドラキュラや怪物大好きだったことや、長女のルミさんのおしゃまな女の子らしい性格が微笑ましく描かれているが、この娘さんたちを見ていたことが、たとえば「ブラック・ジャック」のピノコやメルモちゃんなどの魅力にあふれた幼女少女キャラクターを生んだのではないかと思っている。いつぞや、手塚家の娘さんがテレビに出てきた時、「メルモちゃんにそっくり」と妹が驚いていたのを思い出す。



            

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