山岸涼子 花とゆめコミックス 白泉社

(1)アラベスクー1

 山岸涼子の漫画を最初に知ったのは、バレエ漫画の「アラベスク」でした。60年代少女漫画において、バレエものは必ず雑誌に一本は連載があるというぐらいの定番テーマでしたが、70年代の「アラベスク」はそれまでのバレエ漫画とは完全に一線を画したところがありました。

 古典的少女漫画のバレエもののパターンは、地味めの(というより、超美人ではないけれども可愛いアイドル系の)恵まれない境遇の努力型の主人公が、お金持ちのお嬢様で天才で美少女のライバルのねたみによる意地悪や妨害を受けながら、あるいは、シンデレラパターンのように、意地悪な美人の姉の妨害にもめげず、監督や相手役のハンサムな(ほとんど頭は空っぽに見える?ひと昔前のホストっぽいへなったタイプ・・・すっすいません!)男性との恋を成就させつつ、芸を達成する、という話でした。

 ここで必ず使われるのが「白鳥の湖」で、特に黒鳥オディールの32回転の難技グラン・フェッテ・アントールナンがクライマックスに出てくるということで、あまりに漫画とドラマで何度も見たせいで、小学校3年生ぐらいに初めてチャイコフスキーの「白鳥の湖」を学芸会でやることになった時には、「おおっ これがあの有名なあれか」と、既視感があったほどでした。32回転をたとえばテレビでボリショイバレエのプリマが踊っている時には、床にロウが塗ってあって足をくじくのではないかといつもはらはらしました(いじわるなライバルが床にロウを塗っておいたりトウシューズのひもを切れるようにしておく、という定番お邪魔パターンが頭に焼き付いていたため・・・)。

 「気立てのよい主人公をねたむライバル」というキャラクターは、たとえば古典的少女小説にも必ず出てきたものなので、小学校低学年あたりでは「ねたむ」の意味が分からず母に聞いた覚えがあります。私はもともとボケキャラの脳天気なたちで、妬むという感情がやたらと薄い人間であったため、ずいぶん長いことその感情を理解できないままで、漫画や小説、ドラマの中でのみそういうものがあるのだと思い込んでいました。

 「嫉妬深くいじわるなライバル」というお決まりのキャラクターという役と、「それほど美人じゃないけど気立てがよく努力家の主人公」という役は、アプリオリなものとして子供の私には素直に受容され、現実とは切り離されたものでした。というより、もともと空想癖が強いタイプの私にとっては、現実よりも漫画や小説の世界に浸っている時間の方が長かったので、あまり自分のこととしては考えなかった、ということがあるかと思います。

 それはさておき、「アラベスク」の主役ノンナ・ペトロワという少女は、キャラクター的に現実味を帯びて、より身近なものとして感じられた、つまりひとごとでなく彼女を見ることのできた、最初のバレエ漫画の主役キャラでした。


 

 

(2)アラベスクー2

 「アラベスク」の主人公ノンナは、特に美人ではないけれども(とはいえ漫画ではやはりアイドル系に描かれている)バレエが好きで、ただバレリーナとしては背が高過ぎるのが悩み。舞台はレニングラード・バレエ団なので、当然彼女はロシア人という設定ですが、性格は当時よくいた日本の少女そのもののイジケタイプ。自分に自信がなくライバルと競争させられるのが最も嫌で、主役は気疲れするので逃げたいといつも思っている内向的な性格です。

 ごく平凡な容姿でふだんは目立たない大人しい彼女が、いったん舞台で踊るといきなり別人のようにプリマになってしまう、ということで、周りやコーチは認めているのですが、本人はいつも周りに気兼ねしておどおどしている。精神的に弱くて、なかなか実力が出せない。・・・コーチの「ミロノフ先生」ユーリ・ミロノフは、彼女を叱咤激励しながら幻の名作「アラベスク」の相手役として彼女を訓練しようとします。

 ノンナの性格のなさけないところは、バレエが好きでやめられないとは思っていても、自分はあくまで平凡なつまらない女の子で、全てのライバルにいつも戦う前から負けていると思ってしまうところです(笑)。エリート天才少女で自信家、女優のような華のあるボリショイ・バレエ団のプリマ・ラーラにも、苦労人の地方出身・職人肌のヴェータにも、最初からおじけづく始末。・・・・

 ラーラと「瀕死の白鳥」の踊りを競わされるところでは、ラーラの完璧な踊りを見ているだけで動揺し、完全に自信喪失して実力が出せず、舞台で失敗するのですが、やがて落ち着きを取り戻した彼女は、ミロノフの「どうしてラーラの踊りと同じように踊ろうとするんだ! 君には君の踊り方があるはずだ」という指摘に目を覚まされて、天才らしい華やかなラーラの踊りとは違った、繊細で内面性を重視した、地味ではあるけれども玄人受けする、彼女ならではの踊りを踊って一部のベテラン批評家に認められることになります。

 

(3)アラベスクー3

 「アラベスク」の出色だったところは、主人公ばかりでなく、ライバルや脇役、更に舞台設定までがそれまでのバレエ漫画と比べてリアリティとオリジナリティが出ていたことです。最初の頃はそれまでのバレエ漫画のパターンを踏襲していて記号的で人形のようだったキャラクターが、だんだんと人間味の感じられるものになっていきました。ユーリ・ミロノフだけは、どうも少女漫画の恋人役のステレオタイプ(要するに女性・少女にとって都合のいいタイプで現実にはまずいそうにない理想的男性像)を脱することができていなかったようですが・・・・

 60年代的古典少女漫画の特徴である、無国籍西欧風の、どこかおフランスだかアメリカあたりっぽい舞台で、西洋人形のような巻き毛たてロール、金髪で目の大きな容貌の人物たちが、時々意味もなく花が飛んだりする背景を背負って、様式的なストーリーに見合った人形のような動きをする、という徹底したつくりものの世界を、相対化し解体していったのが70年代の24年組の新感覚派だったと思いますが、「アラベスク」にも、特に後半になってくると、少女漫画というジャンルのお決まりの様式を外から見て相対化する視点が入り込んできていました。

 たとえば、当時バレエといえばロシアバレエが筆頭であり、バレエファンの少女たちにとってはボリショイバレエ、レニングラードバレエは憧れの存在でした。バレエという窓からのみ見ていたわけですから、歴史と格調のあるロシアバレエとロシア人の美人バレリーナたち、というキャラクターは深く考えることなく受け入れられていたわけで、アンナ・パブロワとかナターシャなんて金髪碧眼の主人公が出てきても時代社会背景などには関心が払われていなかったのです。

 ところが、「アラベスク」だけは、そこがロシアであるということをちゃんと意識させ、状況を説明してくれた唯一のバレエもの少女漫画でした。レニングラードバレエ団のスターでありながら、古典的スタンダードからはずれる個性的な才能と持ち味のあるミロノフのライバルは、自分の個性がレニングラードバレエの伝統には受け入れられず、自由に力を発揮できない、と悩んで西側への亡命を果たします。「亡命」の意味を、しっかり漫画の中で説明していたところも当時の少女漫画としてはひたすら偉い!(笑) というところでした。

 

(4)アラベスクー4

 イジケキャラでいつもうじうじ悩むノンナも、いろいろなライバルたちや友人、そしてユーリ・ミロノフへの恋を通じて、少しずつ成長します。やはりライバルとの競い合いを強いられ、自信喪失でレニングラードの舞台から逃げ出し、地方のバレエ団で素性を隠して働いていた時(彼女はバレエしか知らない世間知らずなため、結局はバレエ団の看板を見つけてそこに厄介になるのですが)、プリマが急病で代役を急きょ頼まれたノンナは、久しぶりに踊ることの喜びをかみしめます。

 そこは地方の小さなバレエ団で、団長の中年の女性はベテランの元バレリーナですが、団員たちは彼女をバカにしていてあまり言うことを聞きません。しかし彼女の目は確かで、ノンナの腕が並ではないことを見抜いていました。ノンナの相手役になった男性は、そのバレエ団ナンバー2の女性の恋人で、恋人が主役になることを団長の気まぐれで邪魔された、と怒り、ノンナの支え手の手をわざとはずすという陰湿な嫌がらせをします。しかし、おとなしいノンナの心に、「そんな個人的な感情で神聖なバレエの舞台を汚すなんて!」という怒りがその時沸き上がり、男性の支えをはずしたまま、最後まで一人でつま先立ちであの32回転グラン・フェッテ・アントールナンをやり遂げるという離れ業を見せて、地方の観客たちの目を見張らせるのでした。

 ノンナは自分がいかにバレエを愛しているかをそのとき悟り、逃げることをやめて、再びレニングラードに戻る決心をするのでした。

(5)アラベスクー5

 ノンナがレニングラードバレエ団の確固としたメンバーになってきた頃、ベルリンからドイツ女性のピアニスト・カリン・ルービツがバレエ団の専属ピアニストとしてやって来ます。彼女はけだるい大人の雰囲気を持つ美人ですが、同性愛者でした。カリンはノンナに関心を寄せ、自殺してしまった彼女のもと恋人のバレリーナの話をします。

 そのドイツ人のバレリーナは美しく繊細で、夢のような「ラ・シルフィー」を踊ったこと、その恋人と比べ、ノンナが大人の女性としての色気に乏しい、というようなことを話すカリンに、例によって誰かと比較されるとすぐに自信をなくすノンナは、自分の子供っぽさに悩み、反発しつつも惹かれていきます。

 カリンのために、彼女のもと恋人と同様の大人の女性らしいラ・シルフィーを踊ろうとしたノンナのために、カリンはピアノを弾くのですが・・・開演前にブレスレットが壊れ、緊張から動揺するノンナの腕に、ミロノフが自分のペンダントをはずして金のチェーンの即席のブレスレットをつけさせます。踊るノンナの腕でさらさらと音をたてるチェーン・・・そこで、カリンがいきなりピアノ演奏を中断してしまいます。

 カリンの自殺したもと恋人は、バイセクシュアルでもあり、カリンを裏切って男性の恋人を選んだのでした。その恋人が踊る時に、やはり同じようにつけていた金のチェーンの音を聞き、ありありと恋人の姿を思い出したカリンは動揺したのです。

 音楽がないままに踊りを続ける舞台の上のノンナ。彼女の腕につけたチェーンの繊細な音が踊りの幻想的な雰囲気にちょうど合って、舞台は成功のうちに幕を下ろします。「私は確かに子供っぽいけれども、私の、私にしか踊れないラ・シルフィーを踊ろう」カリンのピアノの音が途絶えた時にノンナの脳裏に浮かんだのはこのことでした。

 「それでいいんだ、ノンナ。ラ・シルフィーは生身の人間の女ではなく妖精なんだ。大人の女性であってはいけないんだ。」

 大人になりきれないノンナのような性格の女の子だからこそ、ラ・シルフィーのそこはかとない幻想世界が構築できる、という真実をひとつ知り、ノンナは初めてバレリーナとしての自分に自信を持つことができたのでした。・・・不確かで幻のような、少女という時期と少女漫画の作りものの世界の限界を指摘しつつ、逆転して肯定していくプロセスがここにあります。ここまでバレエを、少女漫画を、少女を、内と外から眺めて深く考えさせてくれたバレエ漫画は、私にとってはこの「アラベスク」が最初で最後でした。



 

(6)日出処の天子ー1

 「日出処の天子」(ひいずるところのてんし)は、80年前後から月刊LaLaで連載が始まった古代史ものの大長編漫画ですが、日本史で有名なかの聖徳太子の少年時代を描いています。厩戸王子(うまやどのおうじ)と呼ばれる少年期の聖徳太子は、超能力を持った孤独な天才で、クールな美少年。女嫌いの同性愛者で母親の愛情に飢える繊細な側面と、政治家としては冷酷なマキャベリストの側面をあわせ持つ複雑なキャラクターです。

 母性的でおとなしい性格の母間人皇女(はしひとのひめみこ)は、実の息子ながら厩戸王子の人間離れした不気味な能力と冷たさを恐れ、凡庸ではあるけれども可愛く素直なルックスと性格の弟久米王子(くめのおうじ)を偏愛します。人間嫌いの厩戸王子が唯一愛したのは、宮廷で権力を持つ豪族蘇我馬子の長男・毛人(えみし)でした。

 毛人は育ちのいい紳士で、お人好しで控えめな常識家の少年でもあり、蘇我家の跡継ぎとして、豪快でエネルギッシュな成り上がり者風の父馬子にはいくぶん頼りなく思われているのですが・・・。厩戸王子との交流が深まるにつれ、王子の底知れぬ不思議な能力を恐れつつも、また王子の父天皇の即位と崩御をめぐり、王子の叔父や叔母たちの血肉の権力争いに否応なしに巻き込まれつつも、そういったこの世の修羅のうちに生きて行かざるを得ない王子の孤独な魂に触れ、共感と同情さえ覚えるようになるのでした。

 毛人は異性愛者であり、厩戸王子の気持ちを知っていてもそれに応じることはできません。気持ちの優しい毛人は王子に申し訳なく思い、気持ちを受け入れられないことを正面から謝罪する律儀な男なのでした。また、頭のいい厩戸王子もそのことはよく分かっているのですが・・・・。みかどの家系の美少年であり、天才の名をほしいままにしながら、また女性たちにも深く愛されもするのですが、自分が本当に愛するものの愛を得ることのみは決してできない厩戸王子のキャラクターは、私のような読者には、ヒーローとしてだけでなく思い入れのできる共感する相手でもあったのです。





 



            

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