(1)海軍特別年少兵

 戦う女性ものが好きだった私は、それ以前に、戦う少年もの、というのも好きでした。

 スポーツを見るのが好きなこととも通じるのかもしれませんが、躍動する肉体の動きの美しさという見かけだけでなく、目に見えない精神力のエネルギーの集中と爆発、ともいうべきものを感じるあの一瞬がたまらなく好きだったのです。人間の苦痛に耐える表情、を、普段の生活ではなかなか見る機会のない時代にずっと生きてきているせいももしかしてあるからかもしれませんが・・・。その苦痛の後の達成の瞬間の安らぎの表情、ぽっかりとした空白の表情、というのもまた背筋がぞくぞくするほど魅力的でした。何やら、いのちの原点を見ているような気がして・・・スポーツでも、戦争ものやアクションものの映画でも、そういう瞬間を見ることが一番感動的であったような気がします。

 戦う少年と戦う女性との共通点はどこにあるのかと言えば、彼等がどちらも戦いにおいては不利な条件、ハンディキャップを明らかに最初から背負っている、ということではないかと思います。つまり、成人男性ほど身体が大きく強くないということです。

 けれども、少年は大人より身体が小さく弱くても、まぎれもなく男性であり、男性としてのプライドがちゃんと備わっている。男として戦い大事なものを守ろうとする気持ち、あるいは、自覚さえしていない内面の野性や攻撃性と、まだ大人になりきっていない、しなやかで繊細な肉体と力の弱さの乖離が、彼等をしばしば悲劇的な状況に追い込んだり、苦悩させることになります。透明で硬質な、それゆえに脆くもある危うさ、が、戦う少年たち、あるいは戦う女性たちの魅力であり美しさの本質であるように思います。

 大人の男性の兵士たちが、銃を撃ったり戦った後、あるいはその最中に怯えたり涙を流したりすることはいまひとつ絵にならないところがありますが、少年や女性であれば、そういった行為に伴う迷いや人間の弱さ脆さをストレートに表しても自然に受け止められる、ビジュアル的にさまになるような気がします。つまり、戦う人間の弱さを含めたトータルな人間味を表現するのに適しているということ・・・。もちろん、現実には、人間の性格はさまざまで、少年や女性であろうと冷酷な人はいるし、大人の男性であろうと性格が優しく、正直に迷いを見せる人だっているでしょうけれども。

 さて、そういった戦う少年像を描いた映画として最初に私の印象に残っているのは、高校生になったばかりの頃に見た今井正監督の「海軍特別年少兵」(’72)でした。これはもとはと言えば中学の同級生がエキストラとして参加したので見てくれ、と言われて見たのが最初だったのですが、ほとんど同年代の少年たちを描いたこの映画には一時すっかりはまりこんでしまいました。

 第二次世界大戦末期、戦力が不足したため徴兵された海軍特別年少兵、とは、最年少者はなんと14才の中学生の年令でした。りりしく勇気のある少年もいますが、中には動作が鈍く、大切な武器を紛失したことを苦にして自殺してしまう純朴な農村出身の少年も出てきます。幼いゆえに、純粋に理想を信じてやがて硫黄島に送られた彼らは、一人、一人と無意味に犠牲になっていく。・・・初めて銃を撃ち、恐ろしさに震える、まだあどけない顔をした少年の姿が目に焼き付いて離れませんでした。


 
 

 

 

(2)橋

 海軍特別年少兵のような悲劇は、第二次大戦時には、日本だけでなく、ドイツでもやはり同様のことが起こっていたことが、「橋」(Die Brucke、ベルンハルト・ヴィッキ監督、1959)を見ると分かります。

 やはり戦争末期、ドイツでは遂に15、6才の少年たちまで兵士として駆り出されなければならない状況に陥ったのですが、ドイツの田舎のある小さな村で、8人の少年が召集され、村はずれの橋の守備の任務につきます。正規の軍人たちは、まだあまりに若い彼らを死なせることをせずに済むようにと、戦略的には重要度の低いその地点に彼らを配置したのですが、予想に反し、その橋から敵が村に攻め寄せて来る・・・

 少年たちは大人たちの思惑も知らず、生まれ故郷を守るのだと決意を胸に最後まで戦ってしまうのでした。・・・既に結果の見えていた戦争に彼らを巻き込むまいとした大人たち、純粋さゆえに責務を疑わなかった少年たち。・・・交差する二つの思惑、現実の残酷なすれ違いを淡々と描いていくこの映画は、ドイツ映画らしくいささか重厚で息づまる雰囲気はありますが、ハリウッド系など娯楽ものの戦争映画ではひたすら悪役としてしか描かれなかったドイツの末端の人たちの戦争の苦痛をよく表していてまぎれもなく名作の一つだと思います。

(3)誓いーガリポリ

 戦争映画の中の少年たち、とは、やはり繊細で小柄な身体を持ち、力が弱いけれども大人の男としてのプライドを備え、純粋な理想を抱いているがために、結局は利用されて無意味に多数の無名の犠牲者たちの一人になってしまう、そういう役回りがほとんどでした。従って、反戦のメッセージを持った映画で生き生きと活躍しやすい。

 オーストラリア映画「誓いーガリポリ」(ピーター・ウェアー監督、1981)もまた、その基本パターンを踏襲しているのですが、こちらはオーストラリアという英語圏のうちでも新興の辺境といってもいい国の歴史をも反映して、ある種のみずみずしい清新な感覚を残す青春映画になっていました。

 1915年、18才の純朴な若者アーチーと剽軽もののフランクは、オーストラリアの原野を駈ける短距離ランナー。二人は年令制限をかいくぐって軍隊に入隊しますが、オーストラリア軍はイギリスの支援のため全く無関係なトルコの要塞の地ガリポリに派遣されます。

 ひたすらナイーブなアーチーはイギリスのために戦うことはオーストラリア人として当然だと信じて疑わないのですが、フランクは祖父がイギリスにより処刑されたという家族の歴史を持つため、オーストラリア=イギリスの息子 という考え方には懐疑的。それでも若い二人にとって、初めての海外への旅はそれなりに楽しいもので、若者らしい爽やかな友情に結ばれていくのですが・・・・

 現実にはやはり、イギリス軍にとってはオーストラリア軍の部隊は捨て石と同じで、お茶の時間を過ごすためにオーストラリア人部隊に自殺にも等しい総攻撃を命じます。イギリス軍にとってもオーストラリア軍にとっても全く必要のない、意味のない攻撃。「攻撃中止」の伝令となったアーチーは得意の足で前線に向かって走りますが、すでにオーストラリアの部隊は突撃を開始していました。自分の行為の無意味さ、命をかける空しさを知りつつも突撃するフランク、そして銃撃を受けながらどこまでも走り続けるアーチー・・・。

 ずっと英語圏の辺境として顧みられることのなかった新興国オーストラリアの青春の痛みともいうべきものが、彼らの走る姿からひしひしと伝わってきたように思ったのは、私だけだったでしょうか。・・・オーストラリア映画が存在を主張した最初の映画が実はこの「誓いーガリポリ」であったことも、この哀切さよりもみずみずしい何かを感じさせたことと関係があったのかもしれません。

 



            

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